本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『差別はたいてい悪意のない人がする』 キム・ジヘ

ほとんどの善良な市民にとって、だれかを差別したり、差別に加担したりすることは、いかなるかたちであれ、道徳的に許されないことである。差別が存在しないという思い込みは、もしかしたら、自分が差別などする人ではないことを望む、切実な願望のあらわれかもしれない。

 

 

差別をされたり偏見を受けたりした人の気持ちとか立場とか、どんなことをされて嫌だったとか傷ついたとか、そういうこと知っておきたいなと思う。

自分が差別をされてモヤモヤして、そのモヤモヤを言語化して出どころを明らかにしたいから、というわけじゃない。

そうして傷ついてきた人に寄り添いたい、という気持ちも少しはあるけど、何か嘘くさいというか綺麗事すぎる気がする。

 

たぶん自分が差別する側偏見を持つ側になって加害者になるのが嫌なんだろうな、と思って、そこから深くは考えたことはなかった。

でもこの本を読んでいるうちに、加害者になるのが、嫌なのは嫌なんだけど、それだけじゃなく、もっともっと自己中心的な理由で差別や偏見について知りたいのかもしれないと気づいてしまった。

 

自分が持ってる差別や偏見に人前で指摘され、恥をかきたくない、差別者だと思われたくない。

平等な考えを持って差別者を糾弾したい、圧倒的な正しさで誰かを論破したい。

差別や偏見を受けてる人にとっての良き理解者になって役立ちたい、そうすることによって他者から必要とされる存在になりたい。

 

そう思ってるだけなんじゃないかと、恐ろしくなった。

 

マジョリティの人々が差別はいけないよねという時、こうした思いは微塵もないんだろうか。

今はみんな差別や偏見に敏感で、そういうことを言ったりしたりすると、周りから批判を受けやすい。

だから敏感になってるだけで、本当に当事者のことを考えている人、思いを寄せている人はどれくらいいるんだろうか。

 

マジョリティが、差別や偏見はいけない、マイノリティにももっと目を向けなくてはといっても、それはそうしないと自分がマジョリティから弾かれるから、マイノリティに目を向けないとマジョリティの中での場所を失うから、というだけなのではないか。

 

どこまでも自己中心的というかマジョリティ中心だなと思って、げんなりする、がっかりする。それは自己嫌悪でもある。

 

マジョリティが自分のマジョリティ内での地位を守るために、マイノリティに理解を示すとか味方でいるというやり方ではなく、本当にマイノリティのためだけを考えて味方でいるなんてできるんだろうか。

 

 

 

読書日記『蓮と刀』

答えは簡単━━フロイト自身、それを危険だと思わなかったから。危険だと思う必要がなかったから。彼には、それに関して疚しい所が一つもなかったから。平気でそれを口に出来たから。彼は母親と性行をしたいと思ったことなど、幼児期から始めて、一度もなかったことを、自分でチャーンと知っていたから。性行したくないどころの騒ぎではない、彼は、母親なんか死んだって一向に構わないと思っていた。

 

書評家の三宅香帆さんが絶版本を紹介する連載を始めて、それの第一回目に取り上げられていた橋本治の『蓮と刀』を読み始めた。

これがまぁもう難しい。

橋本治フロイトの言っていることを事細かに読み解いて、フロイト自己欺瞞を暴いていくような内容なんだけど、フロイトの言ってることもわからなければ、橋本治の解説も大してわからん。ただ、橋本治が要するにフロイトが言いたいことはこれだってまとめてくれたところだけはなんとなくわかる、というレベル。

 

フロイトエディプス・コンプレックスというのを知ったのは、大学の一年生の頃だったけど、男の子は深層心理では父親を殺して母親と性行したいと思っている、というのが気持ち悪かったのはもちろん、フロイトそんなことよく言えたな?自分にもお父さんお母さんいるだろうにそこ気まずくなかったの??とも思ってずっと、フロイトの親子関係が気になっていた。

 

橋本治がいうには、フロイトはお父さんのことが嫌いで怖くて、その気持ちをどうにか理由付るために母親を引っ張ってきて、エディプス・コンプレックスを作り出したのだ、とのことだった。

 

長年の疑問がわかってすっきりしたんだけど、一方で「本当か…?」とも思ってる。

私が理解できたのはまとめの部分だけで、その途中の論理をほとんど理解してない。わかりやすいとこだけ見て、わかった!と思ってるけど大丈夫かな、と不安になる。

でも頭いい人が言ってることだから本当のことなんだろうな、とも思う。

だけど「わかりやすいとこだけ見てわかった気になる」が危ういのと同じぐらい、「自分より頭のいい人が言ってるからそれが正解」というのも危うい。

 

最近その結論に至るまでの論理展開もわかるし、結論やまとめも理解できる、そんな話ばかりに触れてきて、こんな難しい本読んでなかった。久しぶりに読んだ。

でも私の頭で全部理解できる話なんてものすごく範囲が狭い。難しい話を読んでいけば理解できる領域って広がっていくんだろうか。頭良くなりたい。理解できる話を増やしたい。

 

 

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三宅さんが紹介した本を読んで「む、難しい…」と思うのは何度目だろう…。

『時間の比較社会学』も『成熟と喪失』もそうで、その度にこれを読める三宅さんすごい!と思うのであった。

 

 

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『物語のカギ 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』 渡辺祐真/スケザネ

世界に対する様々な言葉の束、つまりは物語をたくさん持っている人は、それだけ世界を豊かに眺めることができる。

物語を味わうことの効用は、世界を見ることの彩度を上げられることにもあるのです。

 

本を読んでまたは物語に触れて、「面白い!」「好き!」と感じても、それだけで終わらせることができない。

それ以上は何も浮かばなくて、それだけで終わらせるしかないこともあるけど、大抵はそれだけで終わらせられなくて、その作品の何が面白かったのか、どこがどう好きだったのか知りたくなって、それを誰かに話したくなる。

それはちょっと恋に似ている。

 

好きになったもののことは深く深く知りたいし、深く語りたい。誰かに話したいし聞いてほしい。

そうこうしてるうちに、自分が普段どういうところに目をつけて、どんなものを好むのかを知っていく。自分のこともわかっていく。

そんなところもちょっと似ている。

 

だけどそれは何も恋に限ったことではなくて、その対象がなんであれ、それに好意を抱いた時に湧き上がる感情や衝動だ。それはもしかしたら好意じゃなくて嫌悪かもしれないけど。

何かに嫌悪を抱いた時だって、なぜそれが嫌なのか、自分はどういう人間だからそれが嫌なのか深掘ってしまうものだけど。

 

嫌悪に関しては置いておくとして、大抵の場合は「面白い!」「好き!」となった時、もっと知りたい、深く知りたいと思うものだ。深く知ることによって、そのものとの関係も深くなって、ますます面白くなって好きになっていく。

 

渡辺祐真/スケザネ『物語のカギ 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』は物語の扉を開け、より深い関係を築くために役立つ鍵が満載だ。

 

視点を多く持つ、自分のできうる限りの勉強や人生を賭して迫っていく、精読多読両方をやる、誰を主語にしどの行動に注目しどの変化を軸にして自分だけの解釈をしてみる、物語が書かれた時代背景を知りそれが今どんな意味を持つかを考えてみる、等々。

 

どれも「面白い!」「好き!」の後、どこへ進めばいいかわからなくなった時にその道筋を示してくれるものばかり。

 

それぞれのカギについて詳しく解説してくれる中で、小説に限らず映画やアニメやドラマなど、たくさんの物語が参照されて、スケザネさんの物語愛が伝わってくる。

たくさんの「面白い!」「好き!」の先にこの本が出来上がったことが伝わってくる。

 

ここまで書いてきて気がついたことだけど、この本に書かれているカギは物語と深い関係を築くために役立つだけのものではなくて、誰かとの関係を築くためにも役立ちそうでもある。

 

誰かと深い関係を築くときには、その人を見る視点は多い方がいいし、ネガティブ・ケイパビリティだってめちゃめちゃ大事だし、その人が普段使う主語が何でどんな行動をするのかも見ていた方がいいし、その人がその人になるまでの背景だって知っていくものだし、それまでの人生を全てぶつけ合うようなものだ。

 

人はそれぞれその人固有の物語を持つという。

この物語のカギたちは、本との関係を深める時だけじゃなく、誰かとの関係を深める時にも、きっと役立つ。

 

 

 

 

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読書日記 ネガティブ・ケイパビリティ

ネガティブ・ケイパビリティ」とは、相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない「宙づり」の状態、つまり不確かさや疑いのなかにいられる能力である

小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』

 

渡辺佑真/スケザネ『物語のカギ 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』の序章に「ネガティブ・ケイパビリティ」という単語が出てきて、これは『ケアの倫理とエンパワメント』で読んだやつだ!とニヤリとしたけど、その言葉は単語としては『ケアの倫理〜』で初めて出会ったものの、その意味するところ、考え方はもっとずっと前に出会っていたものだった。

 

しかし、なんでもかんでもわかったフリで済ませてしまうのはとても危険です。なぜなら、「わかった」と思ってしまうことが、もう学ばなくていいやという思考停止を招き、真に「わかる」ことから遠ざかってしまうからです。

(中略)

だから、わからないことに耐えて考え抜く。ネガティブ・ケイパビリティは、わかることを否定している逃げの態度ではなく、簡単にわかったつもりになることを戒めるものなのです。

渡辺佑真/スケザネ『物語のカギ 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』

 

河合隼雄『こころの処方箋』は、初めて読んだ当時は何度も読んで、ここに書いてあることを全部頭にインストールしたいと思ったほどなのに、ここでネガティブ・ケイパビリティの考えに出会ったのだと思い至らなかったのが悔しい。

反対にそれが、出典元がわからないまでに自分のものになってることの証だったら嬉しいのだけど。

 

速断せずに期待しながら見ていることによって、今までわからなかった可能性が明らかになり、人間が変化してゆくことは素晴らしいことである。しかし、これは随分と心のエネルギーのいることで、簡単にできることではない。むしろ、「わかった」と思って決めつけてしまう方が、よほど楽なのである。

河合隼雄『こころの処方箋』

 

私の身近に何かあるとすぐに「わからない」という人がいる。それはネガティブ・ケイパビリティがある「わからない」ではない。

『こころの処方箋』の解説で谷川俊太郎が書いているような河合さんの口癖の、分からないことの深さを感じる「わかりませんなぁ」でもない。

「わかった」という思考停止より更に酷い「わからない」という思考停止で、わからないことをわかる価値などない、くだらないことだと断定するような「わからない」で、言われると本当に嫌な気持ちになる。

 

その人は自分にはわからないことを言われると、自分の理解力がそこに及ばないこと自分が劣っていることを指摘されたようで嫌な気持ちになるんだろう。

だから自分にわからないことは、わかるまでもないくだらないことだと否定して、自分の地位や尊厳を守ろうとしている。そんな気がする。

「わからない」と決めつける方が、その人にとって楽なのだ。

 

安易に答えを出すよりも、まず「分からない」と思うほうが答えに近づく道だということを、私は納得する。「分かる」だけが答えに近づく道ではないことを、河合さんの「わかりませんなぁ」は指し示してくれるが、それは言葉を失っていいということではない。

谷川俊太郎『こころの処方箋』解説

 

そういう私も、わかろうとする気がない「わからない」を突きつけられて、言葉を返そうとせず、わかってもらおうという気を奮い立たせることもなく、「プライドが高い厄介な人」というわかり方で思考停止をしている。

 

「わからない」という思考停止と、「わかった」という思考停止の間で、様々な可能性を秘めていて滋味のある「わからない」を抱え続けるための能力ネガティブ・ケイパビリティ

そんな能力持ち合わせているのは高僧ぐらいなんじゃないかとか思えてくる。

 

 

 

 

 

 

『自分ひとりの部屋』 ヴァージニア・ウルフ

散文や小説の執筆は、詩や劇の執筆に比べれば容易だったことでしょう。集中力をそれほど必要としませんから。ジェイン・オースティンは生涯そんなふうに執筆を続けました。彼女の甥が回想録に書いています。「作品につぐ作品をどうやって書き上げたのかは驚くばかりである。こもっていられるような自分ひとりの書斎を持っていたわけではなく、作品のほとんどをみんなの居室で、あらゆる種類のちょっとした中断を受けながら書いたのである。自分が何をしているのかを、家族以外の者、つまり使用人や訪問者などには感づかれないよう、叔母は細心の注意を払っていた」。ジェイン・オースティンは原稿を隠したり、吸い取り紙を上に乗せたりしたのでした。

 

上半期ベスト本にもあげた小川公代さんの『ケアの倫理とエンパワメント』を再読するための準備として、ここ最近はずっとウルフの『自分ひとりの部屋』を読んでいた。

 

この本を読むと男性作家が書いてきた女性というのは、男性の妻だったり母親だったりと女性という性に縛られた一面的なものでしかなくて、男性の付属品のような扱いばかりだということがわかる。

小説の中で女性が活躍していたとしても、それは虚構の中だけで、現実ではやはり夫の所有物や父親の所有物で付属品だった。

 

ここ最近ずっとこの本を読んでたというのに、ついこの間「芥川賞候補作品が全員女性作家だということは騒ぐことじゃない」とか言ってた自分が恥ずかしい。

「ノミネートされたのが女性作家のみの芥川賞は史上初」ということと、その時読んでいた「女性がものを書こうとするならお金と時間と自分ひとりの部屋が必要」という本の内容が結びついていなかった。

 

女性が堂々と小説を書けるようになるまでに、当たり前に男性と肩を並べて書けるようになるまでに、どれだけの苦労があったか。

時間とお金とひとりの部屋を獲得できず、どれだけの人が創作を諦めてきたか。

そうしたこと全部わかっていなかった。

 

もちろん、候補者が全員女性であることがいたって普通なことで当たり前で、騒ぐことじゃなくなる方がいい。

その方がいいに決まってる。

でもそこに至るまでの誰かの苦労や努力とか、その普通が叶わずに踏みつけにされてきた人のこととか、何も知らずに、その人たちが作ってきた土台の上に立っているのに、「別に普通のことじゃない?」とかいうのはやっぱり恥ずかしい。

 

今の人からしたら、ジェイン・オースティンがどんなふうに小説を書いてきたかとか、昔のことすぎてピンとこないというか、「そんな昔のことを引き合いに出してきて感謝しろと言われても…」という感じなのかもしれないけど。

だけど、当たり前であって当たり前じゃないんだってことは頭の片隅にでも置いておかないと。

そうしないと、当たり前は簡単に失われてしまうだろう。

 

 

 

第167回芥川賞受賞発表後日談。

第167回芥川賞受賞作が発表されました。

もう7年くらい芥川賞候補作を読み続けてきたけど、ちゃんと予想立てたことなかったなということで昨日受賞予想ブログを書きましたが、せっかくなので発表後の答え合わせや新芥川賞作家さんのことやあれやこれや、受賞後の雑感を書いていきます。

 

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答えあわせ

 

まず昨日私が立てた予想は、

本命 山下紘加 「あくてえ」

対抗 高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」

穴  小砂川チト「家庭用安心坑夫」

でしたが、受賞したのは対抗の高瀬隼子さん「おいしいごはんが食べられますように」でした!!

本命ではなかったけど、一応予想の中で作品名を挙げていたものが受賞して嬉しい。

私の中では「あくてえ」の方が打ちのめされたし、衝撃が大きかったので本命にしたのですが、「おいしいごはんが食べられますように」も好きだったので嬉しいです。

 

「おいしいごはんが食べられますように」の感想はこちら。

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芥川賞作家 高瀬隼子

 

というかそもそも高瀬隼子さんが好きなんですよね。

高瀬さんは「犬のかたちをしているもの」という作品でデビューされているのですが、それを私が信頼しているライターの瀧井朝世さんが要注目と紹介していたので、読まなくては!と飛びついたのです。

「高瀬隼子さんならデビュー作から読んでたもんね!」と大きい顔できるのも瀧井朝世さんのお陰。

 

 

「犬のかたちをしているもの」

 

そのデビュー作の感想がこちら。

 

すばる文学賞受賞作の高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』を読んだ。

 

すばる文学賞受賞作って好きな作品が多くて今回も期待してたのだけどやっぱりよかった。
この良さがなんなのかよくわからなかったけど、今月号のすばるで瀧井朝世さんの書評に「敏感さと繊細さを持ち合わせ、確かな言葉選びで、今の時代の心の揺れを描きだせる作家がまた一人増えた」とあって、それがすごく腑に落ちた。

すばる文学賞ってまさにそんな作家さんを生む賞だって印象がある。

 

あと家族と仲良いからこそ、自分の行動原理が家族を喜ばせたいとかそういう自分本位じゃなくなっちゃって、悩みが増えるっていうのも解説してもらわなきゃ流してしまってたな。
物語の中のことを全部当たり前に読んじゃう癖が抜けない…。

 

これを読んで思い出したんですが、高瀬さんはすばる出身の作家さんだったんですね。『おいしいごはんが食べられますように』が群像掲載作品なんだけど、出身でいうとすばる文学賞

そう考えると最近すばる掲載作品で芥川賞受賞作ってないかも…。

 

予想ブログでも触れた昔の芥川賞候補作木崎みつ子さん「コンジュジ」もすばる文学賞受賞作品だし、石田夏穂さん「我が友、スミス」はすばる文学賞の受賞は逃したものの佳作に選ばれてデビューして、その後芥川賞候補作に選ばれているし、私の好きな作家さん奥田亜希子さんもこの文学賞出身なんです。

あと、春見朔子さんの「そういう生き物」という受賞作もすごい好きだったな。この作品以来見かけないけれど、どうしたのでしょうか…。

 

すばる文学賞すごい。これからもチェックしなくては。

 

 

 

 

 

「水たまりで息をする」

 

2作目の「水たまりで息をする」は芥川賞候補入りしたことをきっかけに読みました。この作品も好きだったな。

当時の感想がこちら。

 

夫が風呂に入らなくなった。

そりゃ入って欲しいし入らないと臭いし臭いと周りからの目も気になる。

でもそれはこちらが正しいと思う領域に引っ張りこもうとすることで相手の領域にずかずかと足を踏み入れることでもあって。

 

ずっと二人で暮らしてきて、これからもこの感じで過ぎていくのだろうと思う毎日に細やかな亀裂が入って、ほとんど自分だった人が自分とは違う匂いを放ち始めて、この人は他人でままならない存在なのだと気付く。

 

自分とは違う人と生きていくことはどちらかがどちらかの人生に巻き込まれて生きていくことでもある。

 

弱い人は強い人の重荷になって生きていくしかないのか。弱い人と共に生きる人は強くならないといけないのか。二人とも弱いままで誰にもなんにも言われずに生きていくことはできないのか。

誰かの重荷になることを拒否して一人で弱いまま生きていくことを選ぶのは愛情の拒絶なのか。

 

この作品は第165回芥川賞候補作なので、前の前、ちょうど一年前に候補入りした作品ですね。

この時の受賞作品は石沢麻衣さん「貝に続く場所にて」と、李琴峰さん「彼岸花が咲く島」でした。

どっちも私には難しかったり、ぴんと来なかった記憶がある…。

だからこの回は「水たまりで息をする」が受賞すると予想したんじゃないかなぁ。

 

こちらの作品も昨日のブログで書いた高瀬さんの不穏さ、普通のふりをしてる、善人のふりをしてる、そうしたこちら側の猫かぶりを剥がしにかかってくる不穏さ、居心地の悪さが存分に味わえる作品なので、ぜひこちらも読んで欲しいです!

 

未刊行作品「いいこのあくび」

 

「おいしいごはんが食べられますように」が受賞した後「高瀬作品は全部読んでるもんね!」と大きな顔をしていましたが、数分後に倉本さおりさんのこのツイートにより、勘違いだったことを知り恥じ入りました。

 

 

この作品もすごい面白そうじゃないですか??!

未刊行作品ですが、調べたらすばるに掲載されていることがわかったので早速図書館で予約しました。

これで高瀬作品コンプリートできるっ。

楽しみだなぁ。しかし高瀬さんタイトルつけるのがとてもお上手ですね。

どのタイトルもふんわりと意味深。

 

直木賞

 

直木賞はいつもノータッチなんですけど、今回は豊崎由美さんや三宅香帆さんありまよさんが候補作だった深緑野分さんの『スタッフロール』を激推しして他ので思わず購入してしまいました。

深緑さんも好きなんですよ…。過去のブログでめちゃくちゃ語ってるし…。

『スタッフロール』も発売当時読もうかなと思ってたんですけど、積ん読に『この本を盗む者は』があったのでそれ読んでからにしようとスルーしてしまったのです。

でも買ったから!読むぞ!

 

 

 

 



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↑『スタッフロール』が候補入りしたぐらいからこの記事のアクセス数がなぜか増えたんですよね。

深緑さんへの注目が高まったのかな。

面白いのいっぱいあるから読んで欲しいな。

そして深緑さん、いつか直木賞受賞して欲しい。

 

 

おわりに

 

今回初めてまともに予想を立てて、あれこれ書いて見ましたが楽しかったです。

選評を読むまでがこのイベントなのでそれもしっかり読もう。

穴にした小砂川チトさんの「家庭用安心坑夫」は審査員の平野啓一郎さん的には推しだったようだし、そこらへんの評価も詳しく読みたい。

もちろん本命だった山下紘加さんの「あくてえ」の審査員評も詳しく知りたい。

審査員好みをしっかり把握し受賞作予想的中できるようになりたい。

そしていつかいつか、候補作までも予想できるようになりたい。

文芸誌の新人賞はたまにチェックするので、これからはもっとしっかりチェックして、この新人さんは芥川賞候補入りするんじゃない??とか言ってみたい。

夢はでっかく。立派な芥川賞オタクになろう。

 

第167回芥川賞受賞作予想!

もう7年も芥川賞候補作全部読みをしているけど、まともに受賞作予想というものをしたことがない。

外したら恥ずかしいからすぐ消えるインスタのストーリーで予想したり、ツイッターでちょろりと予想してみたり。

そんな風にこっそりこっそりとしたやり方でしか予想したことなかったけど、当たるとやっぱり嬉しい。そして当たらなくても案外楽しい。

過去にはこの作品とこの作品に受賞してほしい!と思った作品が2作品同時受賞したり(若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』と石井遊佳百年泥』)、この作品は受賞しそうでこの作品の受賞はなさそうと思った作品が2作品同時受賞したりして(高山羽根子首里の馬』と遠野遥『破局』)、予想を立てなければ味わえない喜びと驚きがあった。

 

今回はちゃんとしっかり予想を立てる!外れたら恥ずかしいしと思ってたけど、尊敬するプロの書評家さんだって外してるんだから恥ずかしくないぞ!と自分に言い聞かせ、これから私なりの予想を書いていきます。

 

その尊敬する書評家豊崎由美さん三宅香帆さんの予想YouTubeを見てから書いたので、ちょいちょいその話が出てくるけど、予想に影響は受けてないよ。

でもその2人の影響を受けて、私も予想ブログ書くぞ!となったので書くよ。

 

ということで今回の受賞作はこちらの5作品。

山下紘加『あくてえ』

小砂川チト『家庭用安心坑夫』

高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』

年森瑛『N/A』

鈴木涼美『ギフテッド』

 

候補者が全員女性であることが言及されがちだけど、豊崎さんも「候補者が全員男性作家だった回も珍しくなかったし、そんなに驚かない方がいい」と言っていて、それは本当にそうだなと。

候補作が発表された時に私が思い出したのは、アメリカの最高裁判事ルース・ベイダー・キングズバーグの「『最高裁判所に何人の女性判事がいれば十分か』と聞かれることがあります。『9人の定員がすべて女性で埋まれば十分』と答えました」という名言でした。

候補作全部が女性作家だ!と言われるのはこれが最初で最後になるといいな。

 

この候補作の順番は私が印象に残った順番でもあります。

何かを参照して書いたわけではないので、私が思い出した順。

まぁ上にある作品ほど最近読んだものだから単純に記憶が新鮮なのかもしれないけど、決してそれだけではない!

 

 

 

鈴木涼美『ギフテッド』

 

一番最初に読んだわけでもないのに、「あと一つなんだっけ…」となってようやく思い出せるものでした。

何だろう。よかったんだけど、他の作品ほどずば抜けていいものがないというか。

 

母親から酷い仕打ちを受けたのに拒絶することができず、それどころか何かしてあげたいとか喜ばせたいとか思ってしまう。

だけど過去に受けた仕打ちを忘れることなんてあり得ない。
そんな寄り添うことも突き放すこともない距離は身に覚えがあるもので、古傷を抉られる、痛いところを突いてくるのはよかった。

でもそういう作品は他にもあるしな…とあんまり印象に残らなかったので、これが一番受賞からは遠いかな…と思っていたのですがっ。

豊崎さんの解説を聞くと、「私が読み逃がしていたあのシーンのあのセリフはそんなに重要だったんですね!」と自分の読みの甘さ浅さに驚き、「『ギフテッド』というタイトルにはそんな意味があったんですね!すごい良い小説だったんだな…」と印象がガラリと変わって、ずば抜けてしまった。どうしましょう。

 

でも私の理解が浅いというの重々承知の上で、厚顔無恥で言わせてもらうと、人の解説聞かないとその良さに気づけない作品でもあったということだなぁと。

 

 

 

 

 

年森瑛『N/A』

 

はてなブログでも感想を長々と書いた作品で印象に残ってそうなのに、思い出したのは最後の方だった。

自分の内面をどうやって言葉にするか、相手を傷つけないように相手が受け取りやすいように、でも誰でも言えるような言葉じゃなくて私だからこそ言えるオリジナリティーのある言葉で伝えたい、という言葉にまつわる葛藤は私の好物だし、この作品は新人賞を受賞しているからその審査員の評価も読めるんだけど、そこでもすごい褒められている。

 

だけどこの作品が受賞するのは…なんかつまらないな…と。

このテーマならもう一段階深く書けたのでは、なんて思ってしまう。

わかるーー!とは思うんだけど、がつんと殴られたような衝撃がないというか。

私の中では共感だけで終わっちゃってるのかな。

 

 

 

 

 

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高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』

 

こちらもはてなブログで感想を書きました。

今回の候補者は高瀬さん以外みんな初の候補入りなんだけど、高瀬さんだけ2回目。前回の『水たまりで息をする』もすごい好きだったけど、こっちも好きだった。

デビュー作の『犬のかたちをしているもの』も印象的で、私は高瀬さんの書く不穏さが好きなのかもしれない。

 

普通のふりをしてる、善人のふりをしてる、そうしたこちら側の猫かぶりを剥がしにかかってくる不穏さ、居心地の悪さ。

そうしてこちらの思う「普通」に揺さぶりをかけてくる小説といえば村田沙耶香さんの小説が浮かんでくるけど、村田さんのそれのようにいきなり飛ばされるような突飛なものではなく、あくまで日常生活の域を出ない地続きの不穏さで、人のちょっとした異常とか悪意を書いてて、それが怖い。その怖さがいい。

 

三宅さんがツイッターで「仲の悪さの精度が高い小説」って言っていたけど、本当にそうで、仲が悪い理由この人とは相入れない嫌いだわっていう理由が精緻に書かれてた。そこから出てくる意地の悪さや悪意も説得力があって、「そんなこと考えちゃだめだよ!」なんていえないんですよね。

そんな風に正義を振りかざす方が、何も考えていないノーテンキな空っぽ人間に思えてしまう怖さ。意地悪やちょっとした悪意の説得力がすごかった。

この作品は受賞しそうだなぁと思うものの一つでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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小砂川チト『家庭用安心坑夫』

 

この作品は受賞するのか…?と思ってしまうんだけど、でも好きなんですよね。

候補作全部読みしていると、「好き!(でも受賞はなさそう…)」という作品がたまにあるんだけど、そうした作品は本当に受賞しない…。(木崎みつ子『コンジュジ』木村紅美『雪子さんの足音』)

だからこの作品もどうなんでしょう。

 

主人公は他の人には見えない幻が見えてしまっている、いわば信頼できない語り手。

こうした作品は過去の候補作や受賞作にもあって、それこそ木崎みつ子さんの『コンジュジ』もそうだったし、今村夏子さんの『むらさきスカートの女』もそうだった。

 

この信頼できない安心できないっていうところが好きなんだろうなぁ。

どこに連れていかれるのかわからないシュールさ、その戸惑いがいいのかもしれない。

 

三宅さんの解説を聞くまで気づかなかったけど、こうしたシュールリアリズムの小説は5年前10年前の候補作や受賞作にいっぱいあって、石井遊佳百年泥本谷有希子異類婚姻譚』がそうだった。

 

そう考えると『百年泥』『コンジュジ』そしてこの『家庭用安心坑夫』が好きな私は、信頼できない語り手のシュールレアリズムが好きなんだな。

 

主人公は切迫してて切実なのに見てるこっちはそれをどこかコミカルに感じてしまうのもシュールだったし、人並みにうまくできないと嘆く主人公に共感しつつもどこに連れていかれるかわからないまま読んだ先で最後の最後、思ってもいないところに連れていかれ、がつんと殴られたような衝撃もあったし。

好きです、この作品。

 

 

 

 

 

 

 

山下紘加『あくてえ』

 

この作品の読後が一番辛かった。親子の話、母娘の話はどの話も辛いものだけど、『ギフテッド』『家庭用安心坑夫』の何倍も重かった。

 

主人公はもうすぐ二十歳になろうかという女の子で、母親と祖母との三人暮らし。

祖母の介護を2人でしているのだけど、その祖母は父方の祖母でつまり母と祖母に血の繋がりはない。でも父親は死んだわけではない。母と父は離婚して別居しているだけで生きている。

 

主人公ももうすぐ二十歳なんだしもう大人と言ってもいいんだけど、その主人公から見た大人たちが全く頼りにならないところが救いがなくて辛い。

 

周りに甘えられる大人がいない。

安心して身を委ねることができる大人がいない。

むしろ自分が大人を世話して庇護し教え諭さなきゃいけない。
家族を愛してはいるのかもしれないけど、愛だけでは精神的なケアの行動原理にはならない。

愛があるからこそ、辛くても投げ出すこと逃げ出すことができない、愛があるだけ立ち往生する。愛が邪魔になる。

機能不全家族とはこのことか!と思うほど救いがない。

 

この作品を読んで宇佐美りんさんっぽいなぁと思ったんだけど、宇佐美さんは『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞したので、母娘関係を書いた『かか』は受賞前だし『くるまの娘』は受賞後に書かれたものだし、意外と母娘の上手くいかなさや愛憎なんかを書いた作品は芥川賞になっていないのかな。

 

この作品を豊崎さんは介護小説としていて、三宅さんは母娘小説としていたのが2人の見方の違いが現れてて面白かった。これは世代の問題でもあるのか。

 

私は三宅さんと同じで母娘小説として読んでて、共感と衝撃だと共感しながら読んでたんだけど、その共感の一つ一つが重い拳で一発ずつ殴られているようで、がつんと殴られた衝撃ではないけど、共感で殴り倒されたような辛さでした。

 

なので一番印象に残ったものでもあるし、扱っているテーマも介護だったり母娘だったりで、受賞しそうなものだし、そのテーマの書き方も深くて重かったので、この作品が受賞作に一番近いのでは、と思います。

 

 

おわりに

 

豊崎さんの真似をして、候補作を本命、対抗、穴に分けると、

 

本命 山下紘加『あくてえ』

対抗 高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』

穴  小砂川チト『家庭用安心坑夫』

 

です!!!

 

さあ、どうなるでしょうか。

私は楽しみな予定があると、その予定に遅刻する夢を見るのですが、今日は芥川賞直木賞解説発表ニコ生を見ようとログインを試みるも全くできず、このままでは発表に間に合わない!!と焦る夢を見ました。

どうなるかなぁ、しっかり準備を整えて発表を楽しみにしたいと思います。

 


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