本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

読書日記 天の原 ふりさけ見れば 春日なる

私が百人一首に初めて触れたのは中学校での授業でした。

その音の耳心地の良さ、実感としてはわかってはいないものの恋の歌の切なさ大人っぽさ、そしてそのカルタというゲーム性にはまり、その後開かれた百人一首大会のために百首全部暗記。母に読み札を渡し家事の最中に読ませ、1人で猛特訓。

しかし大会本番、思ったよりも誰よりもバンバン取るもんだから他の子の楽しみを奪っているような気がして申し訳なくなって、大会の後半は好きな札だけ取るスタイルに変えたところ、残念ながら学年2位。

しかも他のグループの子と取った札の数が同じだったため無念の同率2位。

あの無念さは今でも忘れることはできません…。気を強く持っていれば。貪欲に札を取っていれば。単独2位にはなれたのに…(1位の子はどんでもなく取っていたので本気出しても勝てなかったでしょう…)

 

以来百人一首に興味を持ち続け、付かず離れずといった感じで関連する本を読んできたのですが、ここ最近また百人一首熱が再熱しています。

 

先月は最果タヒさんの『百人一首という感情』を読みまして、たった31文字の一首にその何倍もの文字数を費やして語ることのできる最果さんすごい、私もこんな風に熱量を持ってとめどなく語れるようになりたい、百人一首オタクになりたい!と思い、立派なオタクになるべく精進しています。

 

最近読み始めたのは『田辺聖子小倉百人一首』。

 

田辺聖子の小倉百人一首 (角川文庫)

田辺聖子の小倉百人一首 (角川文庫)

 

 

田辺さんの軽妙な語り口で1首1首をショートストーリーのように読めるので、毎晩寝る前の楽しみにしています。

 

昨日読んだのは、

 

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも  という1首について書かれた項。

 

田辺さんの現代訳はこうなっています。

 

大空はるかに ふりあおげば

明るい月がかかっている

あれは その昔 私が

故郷の日本で見た月だ

奈良の春日にある三笠山

さし出た月だ

 

この歌の作者安倍仲麿は遣唐留学生として17歳の時に唐へ渡りました。当時は唐へは船でどうにかたどり着けるけれども、帰ってくる方が難しい時代。

それは航海技術が安全に航行できるほど発展していなかったということもありますが、日本から唐への船が定期便ではなく、およそ20年に一度しかなかったため、帰って来るのが困難なのでした。

 仲麿が唐へ渡って36年後、53歳の時に日本から船がきました。彼はこの船に乗って日本へ帰ることにします。

その時中国を代表する詩人の李白らが送別会として開いてくれた宴で詠んだ歌がこの歌だとされています。

 

月好きとしてはここに月を持って来るところが素晴らしいというか、月の美しさ、月が月であるところの良さが出ていると思います。

 

故郷でも留学先でも空に浮かんでいるものだったら太陽だって浮かんでいますが、ここでは仲麿の故郷を思う心に寄り添うのは太陽ではなく月です。

 

太陽は人々をあまねく照らし誰にでも平等に降り注ぐもの。月だってそうなのですが、その幽けき光はもっと一人一人に真っ直ぐに届き、寄り添っているもののように感じます。

いうなれば太陽はゴールデンタイムのTV番組、月は深夜のラジオ番組といったところでしょうか。

やはり寂しさや郷愁の心に寄り添ってくれるものは月のように思います。

 

しかし月ならなんでもいい、いつどこに浮かんでるものでもいい、というわけではありません。

私はニューヨークエンパイアステートビルから中秋の名月を見たことがありますが、まったく「中秋の名月」という感じがしませんでした…。いつも見ている月と同じものなのにまるで他人のように感じて少しさみしかった気さえします。

まだ明るいうちに見るしらじらとした月を見るのもなんだかちょっと気恥ずかしい。やっぱり私がいつも見慣れている月は夜を纏った月ですから、裸の月を見ているようでなんだかちょっと…。

そんないつもとは違う月を見るのも好きは好きなのですが、やっぱり私が慣れ親しんでいる月は、帰り道や寝る前にふと見上げるとそこにいる月です。

 

仲麿にとっては故郷の三笠山に浮かぶ月がそうだったのでしょう。

これから日本へ帰るという時に見上げた唐の月。月はどこでも見ることができるけれど、春日にある三笠の山に浮かんだ月が仲麿にとっては特別な月であって、その月への思慕が故郷への思いが募って浮かんだのがこの歌だったのではないでしょうか。「早く故郷へ帰って三笠の山に浮かんだ月が見たい、故郷でまたあの月に会いたい」と。

しかしその夢は叶うことはありませんでした。

帰路に着いた船は途中暴風にあい、唐の安南に漂着、仲麿は再び長安に戻り、17年後日本に帰ることなく70歳で生涯を終えるのです。

 

これから故郷に帰るんだという思いで詠ったこの1首を、もう帰らないだろうと悟った仲麿は思い出すことがあったのでしょうか。そしてどのように感じたのでしょうか。

 

 

これまで私にとって百人一首で思い入れのあるものは、

小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」や、

蝉丸の「これやこの 行くも帰るも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関」でしたが、

安倍仲麿の「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」も今回この本を読んで印象深いものになりました。

今まで対して気に止めてなかったのに…。

これからもそんな歌が増えることを願い、オタクになるべく精進します。