『スタッキング可能』 松田青子
ミステリが好きだった。はじめは何もないように見えたとしても、実際何も秘密がない、含みがない人間などこの世に一人もいないのだと、学生生活で、日常生活で、社会生活で、人を表面でしか判断しない、自分たちも表面しかないように見える人々に苦しんでいたD山に教えてくれた。大丈夫、絶対何かある。あの人たちにもきっと何かある。表面しかないない人なんてこの世にいない。
唯一無二の作風を持つ人はたくさんいるけれど、松田青子さんの唯一無二の唯一無二感は圧倒的だ。
「スタッキング可能」「写真はイメージです」「女性ならではの視点」。
誰もが目にしたことのあるフレーズから紡ぎ出された物語は、ふざけてるようだけど大真面目で、軽やかに本質を突く重い一撃を放ってくる。
『スタッキング可能』はA田、B野、C川、D山、E木が同じオフィスビルの違うフロアで働くお仕事小説。
誰もが没個性的で、同じように仕事をして同じように疲れた顔して帰っていく人たち。
でもそれぞれに思うことは様々で、でもそれだってどこか似ていて、でもやっぱり違う。
没個性的に見えるのは、内面を見せていないからというだけのこと。
でもなにもかもさらけだして人と関係を結ぶ必要性もない。
表面をちょっと整えるだけで隣り合う誰かと何かをつなぎ合わせて積み上げていくことができる。
それぞれ様々な内面を持つ人とスタッキング可能になる。
それってすごいことなのかもしれない。
他者とのスタッキングを可能にするために表面を整えることは無味乾燥になりがちで没個性的になるし、行きすぎると、皆一様に黒いスーツを着た就活生や新入生のように見る人に恐怖を与えるものになるかもしれない。
でもそれだってそこまで怖がる必要はないのだ。
中身は違ってて当たり前なんだから。
社会の歯車という言葉にはマイナスのイメージがあるけれど、それのどこがいけないのだろう。
様々な内面を持つ他者とスタッキング可能な社会の歯車の一つとなって、働けるのはそれだけすごいことだ。