本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『死にがいを求めて生きているの』 朝井リョウ

だけど人間は、自分の物差しだけで自分自身を確認できるほど強くない。そもそも物差しだってそれ自体だけでこの世に存在することはできない。ナンバーワンよりオンリーワンは素晴らしい考え方だけれど、それはつまり、これまでは見知らぬ誰かが行なってくれた順位付けを、自分自身で行うということでもある。

 


ゴールデンウィーク明け初めての土曜日はなにも予定がなかったので家でだらだらすることにした。

 


「今日はだらだらする」と決めた日の朝にコンビニへ行ってジャンクなお菓子やジュースやパンを買い込むって、贅沢でしあわせでたっぷり自分を甘やかしている気がして、自分をかわいがっている感じがして好きだ。

家からコンビニまでの行き帰りの道では外の光や風が気持ちよくて、家に籠る前に天気の良さを体感できたのも嬉しかった。

 


家に帰ってきて昨日の続きを読み始めた本のなかには、自分の生きる価値がわからず他者から賞賛をえないと不安でたまらない人たちが、他者から「それは価値がある」と認められた生きがいがないと生きていけない人たちがいた。

 


彼らは生きがいがないければ生きていけない、というよりも、他者から見て意味があって価値があってキラキラした生きがいでないと、キラキラした自分でないと、生きている意味を見出せない人たちにみえた。

他者から賞賛されるような自分じゃないと自分で自分を認めることができない人たちに。

 


彼らは結局他者からの承認をえて自分を承認したいのだ。

彼らを見ていると、承認欲求というのは他者から承認をえたいというよりも、自分で自分を承認したいということなんじゃないかと思えてくる。

 


誰よりも自分を見ている人間である自分。

その自分から自分への承認がないのは辛い。

その承認が、他者から輝いて見える自分でないとできない性質のものだったら尚更つらい。

 


人生の最初から最後までずっと一緒にいるのは自分だけだ。

ただ通り過ぎていくだけの幾多の人々からの承認よりも、これまでずっと一緒にいて、これからもずっと一緒に付き合っていく自分からの承認をがえられたら、それをえた上で他者と繋がれたらなら。

そうしたら例えば、「いいね」っていう数字だけの、指の第一関節を軽く動かすだけですむ承認を求めることもない、その承認に一喜一憂することもないだろう。

 

 

 

ゴールデンウィークは旅行したりお出かけしたり、人と会ったりしてSNS映えしそうな休みで、それはそれでもちろん楽しくて思い出深いものだったけど、本を思ってたよりも読めなかったのが残念だった。

お盆は何も予定いれないぞ!と、自分でも本気かどうかわからない小さな決意をするくらいには。

 


いつもの休みとは違う大型連休ももちろん楽しかったけど、全くリア充感もなくキラキラもせず、他者からの承認欲求を満たすためでもない、ひたすら家に籠って自分の欲求に素直に従い、それを叶える今日みたいな休日も好き。

 

 

死にがいを求めて生きているの

死にがいを求めて生きているの