三宅香帆さんの書評本『人生を狂わす名著50』で紹介されていた米原万理さんの『オリガ・モリソヴナの反語法』を読みました。
三宅さんの文章はほんとに楽しくて、紹介されてる本もいつも魅力的に書かれているのですが、実際その本を読んでみても面白い。
もちろん『オリガ・モリソヴナの反語法』もとっても面白かったです!
語り手はそこに通うシーマチカと呼ばれている日本人、志摩。
志摩が通う学校には生徒に人気の名物教師がいました。それがタイトルにもある、オリガ・モリソヴナです。
彼女はダンスの先生で、授業の度に生徒を罵倒するのですが、その罵倒が独特でそのすべてが反語法なのです。つまり彼女が「美の極致!」と叫んだら「醜さの極まり!」という意味。
とにかく反語法の罵倒のレパートリーが多彩で次から次へと生徒を厳しく指導していきますが、だからといって生徒に嫌われることもなく、むしろ生徒もオリガの反語法をちょっと楽しんでいる様子。
それは罵倒はしてもねちっこくないし、ダンスも美しくて本物だし、ユーモアもあって魅力的な人物だったから。
反語法とはいえはっきりと物を言い、さばさばした彼女でしたが、時々謎めいた行動や言葉を発し、彼女の周りでは時々不可解なことが起こります。
志摩や親友のカーチャは大人になってもオリガの魅力や彼女の謎めいた言動が忘れられず、彼女の過去を調べ始めます。
謎を追っていくにつれて明らかになっていく過去はスターリン時代の深い影がさすものでした。
この小説は前にこのブログでもご紹介した、深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』が好きな人はきっと好きな小説だと思います。
ここで三宅香帆さんの『オリガ・モリソヴナの反語法』書評の冒頭部分を。
世界を雑に見たくないです。
時代とか歴史とかそういう大きなものに巻き込まれながら、マクロに圧倒されながら。一人ひとりの人間はミクロ単位でいろんなことを考えて食べて眠って起きて生きている。
小説という媒体に力がああるとしたら、そういう、大きなものに取りこぼされがちな、一人ひとりをすくうことじゃないのかなぁ、なんて思います。
三宅さんが言うように、まさに『オリガ・モリソヴナの反語法』はそうした小説なのですが、『ベルリンは晴れているか』も「大きなものに取りこぼされがちな、一人ひとりをすくう」力を持った小説でした。
『ベルリンは晴れているか』は第二次大戦中のドイツ、戦後のドイツが舞台。
『オリガ・モリソヴナの反語法』はスターリン時代が舞台です。
戦後ドイツの話、ナチスドイツのホロコーストの話はこれまでにもたくさん触れてきましたが、そのほぼ同時代に行われたスターリンの大粛清について私はこれまでほぼ知らぬまま過ごしてきました。
ホロコーストに比べたら規模も犠牲者も少ないかもしれない、スターリンの大粛清はホロコーストの影に埋もれてしまっているのかもしれない。
だけど、かけがえのないたった一人の命が失われてしまった歴史に大小の区別はつけられません。
オリガ・モリソヴナはそのたった一つの命に降りかかってきた運命に、逃れられない悲劇に、反語法を使い喧嘩を売るようにして乗り越え、たった一つの人生を生きていきます。
その生き様からはあたかも「上等じゃないか」という声が聞こえてきそう、彼女の不敵な笑みが見えてきそうです。
彼女のその不敵な笑み、その反語法からは、彼女とは比べものにならないだろう小さな小さな悲劇に見舞われる日々の生活にも毅然とした態度で立ち向かう勇気をくれる者でした。