小倉美惠子『オオカミの護符』を読んだ。
この本はオオカミ信仰、山岳信仰について、人々がどのように「おイヌ様」や「お山」に信仰してきたのか、どんな風に儀式が行われていたのか、生活にどんなふうに根差していたのかが書いてあるノンフィクション。
私は信仰や宗教の話を読むのが好きだ。
同じものを信じられるかどうかは別として、誰かがなにかを信じている様子をみることは、不思議な落ち着きがえられるからだと思う。
擬似体験ができるとこが読書のいいところだけど、この不思議な落ち着きっていうのは、何かを信じてる人の気持ちなんだろうか。
なんで誰かが何かを信じている姿が好きなのかな、と考えみたけど、信じるとか祈るとか、そういう行為は自分の身を委ねている感じがして、それがちょっと羨ましいからなのかもしれないと思った。
委ねるといっても、それは決して無責任に委ねるとか依存するとかじゃなく、自分にはどうにもできないことを、人知を超えた何かにお任せして、自分の手の届く範囲はしっかりと自分の手で取り組むという役割分担みたいな委ね方。
「やることはやって、あとはお任せ」みたいな力の抜き具合、全部自分でどうにかしなくてはいけないっていうわけじゃなくて、必要があれば誰かや何かが助けてくれるだろうっていう、ある種の他力本願が持てるって羨ましい。
「きっとどうにかしてくれる」と思って信頼しているからこそ祈ること信じることができるだろうし、「守られてる」って実感があるからこそ、「恩恵を受けている」って実感があるからこそ、信じることができるって部分もあるんだろうなぁ。
実生活ではなかなかそんな実感をえることができないから、本やなんかでその擬似体験をすることが好きなのかもしれない。