本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

読書日記 「おいで、もんしろ蝶」

ある朝、うまれたばかりのもんしろ蝶が、池のそばにきた。そして草の葉につかまって、池のおもてにうつる自分のすがたにみとれ、おもわず「ま、きれい!」とつぶやいた。

池は、くすっと笑っていった。

「ああ。あんたはとてもきれいだよ」

ほんとうに〈うまれたて〉というのはいいもんだ。もんしろ蝶は、朝日をあびて、ひかりのかけらのようである。

 

今やっているドラマ『同期のサクラ』を毎週楽しみにしている。高畑充希ってこんな役が多くないか、と思いながら。

これは脚本家が同じだからかもしれないけど『過保護のカホコ』もそうだし、脚本家が違くて漫画原作の『忘却のサチコ』も、後先とか損得とか周囲の状況とか意に返さず、自分の気持ちをまっすぐ素直に言葉にしてしまうタイプの主人公。

そんな役どころばかり。

面白いんだけど。どのドラマも毎週楽しみに全話見てたけど。でもしかし。

 

今日読んだ『くどうなおこ詩集○』の中の「おいで、もんしろ蝶」を読んで、みんな「ほんとうに〈うまれたて〉というのはいいもんだ」って思うところがあるから、こういうドラマが後をたたないんだろうなぁと思った。

高畑さんが主役じゃなくても、そういうドラマはたくさんある。

まっすぐで素直で子供みたいで、その性質で周囲を巻き込みたくさんの問題を起こすんだけど、味方になってくれる人が徐々に増えていきみんなに愛されていくような物語。

まるで「うまれたて」のような人間が主人公な物語。

 

物語だけじゃなくてタレントもそういう性質を持つ人達はいつも一定の人気があるような気がする。

いわゆる「天然」とか言われてる人達。

「天然」という言葉はたぶん「うまれたて」という言葉に限りなく近い。

だけど使われ方は全然違う。

 

忖度せずにびしびし正直に自分の気持ちをいう人はともすれば「空気の読めない人」と批判的に言われるけど、なぜ「天然」とは言われないのだろうか。

 

広く天然と呼ばれている人達は一定の人気があるけれど、どこか愛玩的な存在で見下されているような扱いを受けているように思える時もある。

どちらも自分が思ったことを正直に言うということにおいては「天然」なはずなのに。

 

自分たちがひた隠しにして来た本当のこと、不都合な真実を言い当てられた時、人はその人のことを「天然」とは言わない。

「天然」って言葉が誰かに使われる時はやっぱり自分を脅かさないようなちょっと抜けた存在にしか使わない言葉だ。

 

だからやっぱり「天然」と「うまれたて」は違う。

 

 

でもやっぱりどちらも人気がある。天然なタレントも、まるでうまれたてのような主人公も。

 

みんな純粋で素直で真っ直ぐが好きなんだ。

思いもよらない言葉や行動で笑わせてくれて、無防備で、ちょっと見下せるからだろうか。

言いたいことが言えない人の気持ちを代弁してくれてカタルシスがえられて、純な気持ちを忘れず、前向きな気持ちになれるからだろうか。

 

「うまれたて」な人が主人公の物語はこれまでも沢山あったし、これからもつくられ続けていくんだろうな。

私もそういう物語は好きだし(素直に好きに慣れない日がくるかもしれないけど)、これからはその時代に即してどんな主人公が書き方をされるのか、周囲がどんな反応をするのか系統だてて観ていくと面白そう。

もしかしたらふた昔前の熱血人情系ドラマはうまれたて系ドラマの先祖なのかもしれない…。

「うまれたて」も時代によって変わるのだろうか。

これからはそこらへんをもっと意識的に観ていったら、また違った面白さがありそう。

 

 

くどうなおこ詩集○

くどうなおこ詩集○