本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家』

もう何年も前のことになるけれど、美術史の講義を受けている時、「芸術家のイメージは酒好き女好き。そのイメージはピカソからきている」という話を先生がしたのだけど、芸術家にそんなイメージを持ってなかったので、すごくびっくりしたことを今でも新鮮に思い出す。

なぜそこまでびっくりしたかというと、私の芸術家のイメージは「貧乏で精神を病んでいて最後は自殺」。

先生が言ったイメージとは真逆だったからだ。

私のそのイメージはゴッホからきている。

 

ゴッホ展を観に行くので、角川ソフィア文庫の『ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家』を読んだ。

ゴッホの人生には何かの折に触れることが幾度とあったので、なんとなくは知っていたのだけど、意識的に触れたのは初めてだった。評伝を読んで泣きそうになったのも初めてだった。

 

ゴッホは貧乏で、弟のテオの金銭的援助を受けながら創作を続けていたことは知っていたけど、ゴッホがどんな思いでいたのかを考えたことはなかった。

わたしが泣きそうになったのは、ゴッホが亡くなる約2週間前にテオに書いた手紙で、そこには自分の不甲斐なさや情けなさ、だけど絵を描くこと以外にどうしようもないやるせなさが書かれていると同時に、だからこそ絵に向かっていく覚悟が書かれていた。

 

ぼくは君たちの恐るべき重荷になっているのではないかと__頭からそうとも思わないものの多少は__心配になっていた。しかし、ヨーの手紙を読めば、ぼくたちも君たち同様働き苦しんでいるという事実を君たちがわかってくれていることがはっきりわかった。

あの時、ここに帰ってふたたび仕事にかかった時、筆がほとんど手から落ちそうになった。それでも自分のやりたいことはわかっていたので、あれからぼくは三点の大きな絵を描いた。

 

この手紙の一節がなぜ書かれたかというとを知ると、支える側の辛さ支えられる側の辛さ、支える側の限界支えられる側の限界というものが感じられてすごく切ない。

 

ゴッホがなくなる20日ほど前、ゴッホはテオの家を訪れたのだけど、弟夫婦はそれぞれちょっとした問題を抱えていて疲弊していた。

生後5ヶ月のゴッホの甥は何日間か病気で苦しんだ後で、テオの妻ヨーは看病の疲れがあったし、テオはテオで商売を自分で始めようかと悩んでいた。

 

テオが独立しようかどうしようか悩んでいたというのも、家計が大変だから少しでも裕福になるためで、でも当然そこにはリスクもあるし、苦労も多くなる。

 

ゴッホとしては、ずっと自分を支えてくれたテオには妻もできたし、子供もできた。本当なら自分より大切で守るべき存在がいるのに、弟に負担をかけ続けていることに気付いただろうし、自分の存在で家庭内に亀裂が入るかもしれない恐れも感じたのではないか。

その時のゴッホの不甲斐なさややるせなさ自責の念を想像すると泣けてきてしまう。

 

だけど、誰も悪くないのだ。テオだってヨーだってゴッホを憎く思っていたわけではない。

ただ、疲れていた。

 

 

先に引用した手紙を書いた約2週間後腹部に銃弾を受けたゴッホの元に駆けつけたテオにヨーが書いた手紙には、

ああ、どうかフィンセントがよくなりますように。私たちの家に来てもらった時、もっとやさしくしてあげればよかった。

 

とあり、ゴッホの死を知り書いた手紙には、

 

ぜひフィンセントに会って、この前会った時あんなにいらいらしていたことをどんなに申し訳なく思っているか、伝えておきたかった

 

と書いてある。

 

どんなに後悔してもとりかえしがつかない思いに捕らえられたヨーの気持ちを考えても泣けてくる。

疲れている時は誰だって余裕がないし、自分が問題を抱えている時は人に対して冷たい態度を取ってしまう。

誰だってそんな経験がある。

それだけで泣けてくるのに、義兄のゴッホがあまりにも不幸な経緯で亡くなってしまった半年後、夫のテオも病気で亡くしてしまったヨーの気持ちは察するにあまりある。

どれだけ辛かっただろう。どれだけ自分を責めただろう。

 

ゴッホが作品を作り続けられたのはテオが支え続けてくれただけでなく、売れない画家の義兄に仕送りを続ける夫を支えたヨーのお陰でもあるし、何より現代に生きる私たちがゴッホの絵に触れることができるのはゴッホもテオも亡くなった後、膨大な量の手紙を書簡集としてまとめゴッホの作品を管理し広める努力をし続けたヨーのお陰だ。

 

ヨーがゴッホの絵をどのように評価していたのかわからないけど、絵の価値を認めて欲しいという思いと同時に、ゴッホやテオへの自責の念や、ゴッホとテオの人生や生き方をたくさんの人に知らしめたい、認めて欲しいという思いもあったのではないか。

 

ゴッホが迎えた結末はとても悲しいものだったけれど、あの結末がなければ、ヨーのゴッホの絵に向かう執着や情熱、原動力もなかったかもしれない。

そうなればもちろん、私たちもゴッホの作品に触れることができなかったかもしれない。

 

これらのエピソードを知ったので、今までのようにゴッホの絵を観ることができなくなってしまったなと思ったのだけど、知ってしまったからこそ見えてくることもきっとある。

 

ゴッホの絵との付き合いが新しい段階に進んだようでちょっと嬉しくもある。

 

ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家 (角川ソフィア文庫)

ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家 (角川ソフィア文庫)