本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

1月読了おすすめ本

去年は365冊も本を読んだので、今年はもうちょっとだらだらゆっくり読んで行こうということで、1月読んだ本は17冊。

ゆっくり読もうと思ったもののやっぱり物足りない…。去年の1月は33冊も読んでるから物足りないのも確か。

それに本って1冊読むと次々に読みたい本がでてきてゆっくり本読んで行こうという気持ちなんてどこかへ消えてしまうもの…。

来月はもっと読んでいきたいなぁ。

 

少ないとはいえ17冊の中には「これは読めてよかった!」という本が何冊かあったので今回はその本達について。

 

「1月読了おすすめ本」というタイトルにしたけど、毎月の恒例にしようというつもりはなく、言い残したことをまとめて言ってしまおうのコーナーです。

 

 

1.『メロスのようには走らない 女の友情論』北原みのり

 

この本については前に書いた記事でも触れたけど、今回はその時に書けなかったことを書いていきたい

この本は女の友情論というサブタイトル通りのことが書かれているのだけど、その大前提として、女の生きづらさとは、何か、何故女だから辛いのか。女という生き物を囲っている世間の常識とか規範とは何かについて解説してくれている。

 

その解説はどんなものかというと、「女だから辛いのだ」とも思っていなかった漠然とした辛さに、「それは女だからだよ、なんで女だからつらいのかっていうとね….」と漠然とした辛さに顕微鏡をあて、どんどん倍率をあげて細かく説明してくれる感じだ。

 

そんなふうに説明してくれるから、自分の抱えてる辛さを客観的に見ることができて、自分の辛さを観察することができる。

そうすると辛さに支配されることがなくなる。

辛さが私を所持するのではなく、私が辛さを所持することになる。

辛さが私を支配するのではなく、辛さが私のある一部分になるのだ。

 

この本に書かれている辛さや違和感は誰しも感じたことがあるものだと思う。

意外とみんな同じことで悩んでいる、同じことを感じている。

でもそんな単純な話でもない。

 

例えばあなたに何かあったとして、あなたの辛そうな顔を見て私が想起するのは、私がかつて感じた感情や、そこから類推した感情で、今まさにあなたが感じている感情ではない。今あなたが感じていることをそのままそっくり感じることはどうしたってできない。

だけど、そんなふうに誰とも分かち合えない感情や孤独が、その人をその人たらしめるものなのではないか。

 

個人的な痛みを因数分解していくと、誰にでも当てはまるような普遍的な痛みが見つかるけれど、普遍的な痛みの解読だけでは零れ落ちてしまう感情もある。

私個人の誰とも分かち合えないはずの痛みが、普遍的なレベルで語られてしまうことは、アイデンティティを脅かすような性質もあるけど、確かな救いも存在する。

 

そんな風に個人の痛みと普遍的な痛みは矛盾を抱えながら、すっきりと解決することなく、ぐるぐる回っているんだけれど、この『メロスのようには走らない 女の友情論』はそんなぐるぐるの真ん中にある本だ。

 

 

メロスのようには走らない。~女の友情論~

メロスのようには走らない。~女の友情論~

 

 

 

2.『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 二村ヒトシ

 

薄っぺらい恋愛自己啓発本な印象を与えるタイトルだけど、しっかりした心理学。

恋愛において人間関係においての自己受容の重要さをとにかく強調している。

自分を愛してくれない人と不毛な恋愛を繰り返して辛い思いばかりするそのループから抜け出すためには、とにかく自己受容すること、ナルシシズムではなく自己受容をすることの大切さをとにかく説いている。

 

自己受容とは誰にでもある心の穴と向き合うこと。

心の穴をとりあえず埋めようとすること、見ないようにすること。それらはすべてナルシシズムであって、不毛な恋愛を繰り返してしまう要因となる。

 

不毛な恋愛は一時的な不安や寂しさを埋めてくれるかもしれない、でもそれは結局は破綻する。

それよりも、自分の心の穴と向き合うこと、「どんな経験が自分の心に穴を空けたのか」、「自分は人から、どんなこととをされると傷つくのか」を思い起こすことで、自己受容できるようになり、不毛な恋愛を繰り返すこともなくなる。

まとめるとこの本にはそんなことが書いてある。

しかし。それって簡単にいうけど、結構キツイ。

なぜかというと、それは自分の傷をほじくり返すことになるから。

 

一時的にやりすごうとするナルシシズムよりも、痛みを伴うけれど根本的な解決に少しでも近づこうとする自己受容。

この考えはつい昨日読み終えた(つまり2月に読了した)東畑開人さんの『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』にもあった。

 

同じ恋愛を繰り返す良くも悪くもとりあえず現状維持は、東畑さんの言い方だとケアで、例えそれが辛くとも自分の心に穴を空けた過去を振り返り、それを見つめ認めることでよりよくなろうとするのがセラピーだ。

 

このように『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』について書かれていることは、『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』で書かれていたセラピーの定義と重なり、なんだか軽薄な恋愛自己啓発本のようなタイトル(しかも著者はAV監督)だけど、学術書にも通じる本質的なことも書いてあるのがこの本で、しあわせな恋愛、恋愛だけでなく、しあわせな人間関係、人生のために遠回りのような近道を教えてくれる指南書だ。

 

 

 

 

3.『音に聞く』 高尾長良

先日発表された芥川賞を惜しくももれてしまった候補作。

これが個人的にとってもタイプだった。

 

硬質で静かで心許ない海外が舞台なところが小川洋子さんや須賀敦子を思わせるし、対照的な姉妹が書かれてるのも好き。

頼れる親がいなくて実質的な身内がお互いだけな姉妹っていうのもなんかつぼ。

 

でも1番の理由はたぶん、言葉に関しての考察があった小説だから。

同じく芥川賞候補だった千葉雅也さんの『デッドエンド』も言葉に関しての考察があって好きだった。

『デットエンド』は千葉さんが哲学者だからだろうけど、小説的な考察というより哲学的で、『音に聞く』は、より小説的物語的な輪郭で言葉について書いていて、よりこちらの方がタイプ。

 

この小説を好きになったことで、やっぱり私は、言葉について言葉で書かれているのだけれど、言葉になりきれていない言葉が言葉の本質に触れている文章が好きなんだなぁと思った。

 

 

音に聞く

音に聞く

 

 

 

おわりに

『なぜあなは「愛してくれない人」を好きになるのか』について書いた部分でも触れたけど、東畑開人さんの『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』もすごいよかった。昨日よみおわった、2月読了本だけど。


臨床心理学の学術書なんだけど、コミックエッセイを読んでいるような小人物描写が巧みな連作短編集を読んでいるような感覚がある。
その書き方のおかげで書き手の生活とか人生とかそういうものがみえくる。そのおかげで著者の顔がみえてくる。
そうするとどうなるかっていうと、学術書なのに泣きそうになる。

著者も書いていたけど、この書き方でないと零れ落ちてしまう細部があって、その細部が書かれていたことによって、どうしようもない感情とか誰しもが持っていて普段隠している傷つきやすい部分に寄り添うような文章になっていたと思う。

東畑さん、小説書いたらすごい小説書きそう。
学者さんで小説書く人増えてるし、古市憲寿さんとか千葉雅也さんとか岸政彦さんとかに続いて欲しいな…。

 

2月も読みたい本がたくさんある。

きっとその中にも「読んでよかった!」と思える本がたくさんあるはずだ。

 

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)