『才女の運命』という本を読んだ。
自身も音楽や科学の才能を持っているのに、同業者と結婚したことによって、徐々にその陰に埋もれていってしまう女性たちの評伝。
シューマンの妻、クララ・ヴィーク=シューマン。アインシュタインの妻、ミレヴァ・マリチ=アインシュタイン。リルケの妻、クララ・ヴェストホフ=リルケ。
などなど天才たちの影に埋もれてしまった女性たちがでてくるのだけど、その女性たちも最初から虐げられてたわけではなく、「一緒に研究頑張ろうね!」「一緒に作曲頑張ろうね!」なんて言われてたんですよ。交際当初とか結婚当初は。
「結婚したら家庭に入ってね!」なんて言われてたわけじゃないのに、結婚したらその才能が旦那の助手的な能力として使われて、子供が生まれたらその助手的能力を発揮する機会もなく、世間から天才とされている人たちの影に埋もれていってしまうのがなんとも悲しい。
知らなかった。
アインシュタインの妻ミレヴァも才能ある人で、むしろアインシュタインが苦手な方だった数学が得意だったのでそのサポートをしていたなんて。
知らなかったことが悲しい。
全く知らなかったってことはいとも簡単にミレヴァが埋もれてしまったってことだから。
埋もれてしまったミレヴァのことを思うとなんとも悲しい。
今までのようにアインシュタインのことを単純に「お茶目で頭のいいおじさん」とは見れなくなった。
それが事実なんだから「知らない方がよかった」なんて言いたくないけど、悲しい事実を知ってしまって、もう知る前には戻れないというのはやっぱり悲しい。
この本を読んでいると「一緒に頑張ろうね!」って言ってたのに、結婚したら助手的な位置になってしまう、っていうのはどうやら天才夫婦の一つのパターンみたいだってことがわかるけど、子供ができたら子育ては女性の仕事で他の仕事をさせてもらえないというのもやっぱり一つのパターンなんだなぁってことがわかる。
でも「子育て=女性の仕事」ってよくあるパターンだよねぇ、ではすませられない、そのパターンの斜め上をいく図式が。現れたのです。
「母子=神秘=男が入ってはいけない」とでも思ってます??と読めるような一節が。
それは詩人リルケとその妻クララについて書かれた章に現れました。
経済的困窮も二人の生活の破綻にはひと役かっていたに違いない。二人とも自分の芸術作品だけでは食べていくことができず、両親の援助に頼っていた。決定的だったのはしかし、妻と幼い娘とを「聖家族」のように様式化しようとしたリルケの「神秘的な厳粛さ」が、日常生活のなかではとうてい維持され得ないものだったことではないだろうか。
ここを読んだ時の衝撃たるや。
「母と子というのは神秘的な関係で男が入れるようなもんではないよね。だから女性に任せるよ」ってことですか??自分の都合のいいように相手を持ち上げて神秘化して面倒ごとから避けようとしてます??
なにそれイラッとする!
そういえば宗教画も聖母子は題材に使われていても聖父子なんて見たことない。
父と子と聖霊は一緒で三位一体だって神格化されているけど、そこに子育て要素はみられない。
マリアがイエスのことを慈愛溢れる目で見つめている絵画はいくつもあるけど、ヨセフとイエスのそんな絵画は見たことない。ヨセフってイエスの子育てしてたのか。イエスってマリアのワンオペ育児で育てられたのか。
三位一体っていう神格化には女性も母も周縁化されているのに、聖母子という形で子育ては神秘化されて尚且つ女性だけに押し付けられて…。
なにそれモヤっとする!
キリスト教っていう宗教をフェミニズムの観点から見たことがなかったけれど、なかなか根深くえげつないものがありそうだ…。
そういえばこれまでマリアをイエスの母としてか見てこなかった。一人の女性として、一人の人間としてのマリアを知らない。
それがなんだか悲しくなってきた。
マリアもこの本に書かれている才女たちのように、神の影に埋もれてしまった女性なのかもしれない。
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