ただ読むだけではなく、よい書物のページには本物の物語が大切にしまわれていることを理解していった。まるで、どんなときでもどんな所でも、蓋を開けさえすれば、酔いしれ愛でることのできる貴重な宝石箱のように。どの物語も僕の人生の一部であると同時に、普遍性を持っていた。そしておいしい食べ物と同様、頭にも心にも栄養を与えてくれるのだ。
食べ物がなければ人は生きていけない。他にもなくてはならないものとして愛だとかお金だとか言われているけど、食べ物がないと人はわかりやすく生きていくことはできない。シンプルに食べなきゃ人は死ぬ。
そうした命に必須なものをこんな風に豊かに味わえること、なくてはならないものがヴァリエーション豊かであること、楽しみ方が幾通りもあることが人生の希望に思えた。
オムレツではなくハンペンのピカタですが。
しかしこういう食べ物小説にたまにでてくる「ひとりで食べるより誰かと食べた方がおいしい」言説がこちらにもでてきて、ちょっとしょんぼりしてしまった。こういう「ひとりよりみんなで」っていう言葉がでてくるといつも微妙に痛む。
一人の方が会話もないし、味に集中できるのでは?!なんてひねた考えもでてきたり。
この小説の主人公は暖かい家庭で育って、楽しい食卓の思い出ばかりだからひとりでご飯食べるのがさみしいのかな。
家族だけでなく、この小説にでてくる人たちみんないい人ばかりで、「そんなうまい話あるだろうか?騙されているのでは?」と裏切られるシーンに備えるために身構えて読んでいたわたしは肩透かしをくらってばかりだった。
みんな素朴でいい人ばかりだった。
本のなかでぐらい騙されてもいいのに、傷つきたくないから身構えて人の善良さを見つけられず、信じられなかった。そんな自分がちょっと悲しかった。
最近コラージュにはまっている。感想書いて余ったスペースに作ったこの小説っぽいコラージュ。イタリア語書くの楽しかった。