本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『声をあげます』 チョン・セラン

韓国SF短編集チョン・セランの『声をあげます』を読んだ。

 

 

今が過去になって、その時の未来だったものが今になってしまえば、その時の今だった過去を批判するようなことはなんでも言えてしまう。

 

ある程度距離ができると冷静になって問題点を炙り出し批判することができるし、そうした振り返りは大事だけど今の人間が、俯瞰で物事を見られる上段に立てた優位性だけを持って批判していいものだろうか。

その時代を生きた人にしかわからない感覚ってあるはず。例えそれが冷静になったら間違ってるとしか思えないような感覚でも…。

この小説で言えば、昔はあんなものを食べていて野蛮だったとかなんとかそんなことを言っていいのだろうか。

 

 

この短編集にも韓国文学特有のユーモラスな会話や憎めない人という要素が散りばめられていた。

この独特な感じはなんて言えばいいんだろう。

飄々としているというか間が抜けているというか気が抜けるというか。この空気感が好きだ。

こうした人物や会話があるから、悲愴感漂う話にもユーモアを感じるし、ユーモアを感じることで悲愴感も高まる。

このユーモアと悲愴感のバランスを保ちその相乗効果を巧みに操り編み上げられるものが韓国文学特有の悲哀だなぁと思う。

 

 

韓国文学はまだ一作しか邦訳されていない作家が多い中で、チョン・セランは亜紀書房で「チョン・セランの本」というシリーズがあって3作も訳されているし「あとなりの国のものがたり」シリーズでも第1作目として『フィフティ・ピープル』がある。比較的多くの作品が訳されている作家といっていいだろう。

亜紀書房だけでなく、他の出版社でもクオンが「新しい韓国の文学」シリーズの一冊としてチョン・セラン作品で初邦訳となる『アンダー、サンダー、テンダー』を出している。

チョン・セランは韓国文学を日本に紹介するシリーズにはだいたい顔を出していることになる。それだけでなく独自のシリーズまでできちゃうなんてすごい。

 

チョン・セランも韓国文学も読んだことのない人は、韓国文学初心者にオススメの本として『フィフティ・ピープル』がよく挙げられていることだし、この作品から入って、そこから「チョン・セランの本」シリーズで他のチョン・セランの作品を読んで韓国文学に慣れてきたら「新しい韓国の文学」や「となりの国のものがたり」シリーズにある他の作家にも手を伸ばしてみるといいかも。そこには韓国文学の沼が待ち受けているかも。