『キャッシュとディッシュ』岡崎祥久
俺みたいな暮らしだと、たった七年ぽっちじゃ。年齢はふえてるでしょうけど、誕生日ごとにちゃんと祝って一歳ずつ加齢するかんじじゃなくて、なんとなく、あいまいに経年変化です。というかまあ、経年劣化です。
叔父の遺品だった皿のようなものは、そこに入れた水をかけた品物が現金になって返ってくる魔法の皿だった。
例え使い古したスポンジでも、皿に入った水をかけると新品で買った時の値段で現金が返ってくる。
この作品を読んだ後に街を歩くと、どれもが金に見えます。
あれもこれもどれも誰かが金を出して買ったもの。誰かの労働の対価。
読む前から積ん読の山を見て、これ総額いくらなんだろうなんて考えていたけど、そりゃすごい額なんだけど、積ん読だけじゃなくてどれもこれもお金がかかっているのである。それ相応の。
私はお風呂に入るのが面倒で、ご飯食べるのが面倒で、とにかくいろんなことが面倒で、いかんこのままじゃ生きるのが面倒になって限りなく死に近づくぞ!と思ったのを思い出すぐらい、この話の主人公が色んなものに水をかけまくって現金化しまくる。そしてどんどん部屋が空っぽになってくる。
生きるのに必要なものを全部全部現金に戻していくと生きることの意味がわからなくなってくる。それは限りなく死に近づく行為にみえる。
そして読みすすむにつれ、怖い予想がたってしまう。
自分がお金を払った品物に水をかけると現金が戻ってくるから自分の労働の対価だと思ってたけど、子供の頃にお小遣いで買ったものも現金になって返ってきていた。
これはただのお小遣いなのか。それともお使いとかの報酬としてのお小遣いなんだろうか。
お小遣いも返ってきたってことは労働の対価としてではなくて、生きることにかかるお金とか、生を充実させるためにかかるお金に焦点をあてたかったのだろうか。
確かにお金なくなるとまず娯楽が削られる。私もお金に困ったらとりあえず本とかDVDを売るだろうな…。
この作品は2020年の文學界8月号に掲載されていたもので、文藝の「はばたけ!くらもと偏愛編集室」を読んで手に取った。
この書評読んでなかったら絶対読めてなかった。読めてよかった。倉本さんも書いてたけど、文体があっさりしすぎてて怖さを引き立ててほんとに怖い。でもくせになる。
↓こちらで途中まで読めます。
文藝の「はばたけ!くらもと偏愛編集室」を読もうと思ったもともとの倉本さおりさんのツイートがこちら↓
この連載面白かったな…。
https://twitter.com/kuramotosaori/status/1350438157343358977?s=21