本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『さらさら流る』 柚木麻子

たとえその時は淀んだ汚い水でも、心がけ次第で、時間はかかっても自然の持つ力がいつか浄化してくれたのではないだろうか。先ほどの湧き水を思い浮かべると、その確信は強くなる。澱も淀みも光を浴びて、次々と沸き上がる力に押されて、さらさら流れていってしまうのだから。

 

自分の不幸が例えば失恋したとか、聞いたことのある病気や経験したことのある怪我で治る見込みがあるものとか、そうしたわかりやすい不幸でない場合、話しても笑われるか困らせるだけなのだと思って、そしてそうした反応はすごく真っ当で、当たり前のことで、仕方のないことなのだと、誰にも話さず蓋をし続ける努力をした。

だけど、蓋をすることでその思いを閉じ込めることは本当にできるのだろうか。

物語は光晴と菫が東京の暗渠を辿っていくシーンから始まる。東京にはオリンピックの際、街の景観を整えるために蓋をしたり、埋設して人や車が通れるようにした川がある。普段歩いている道の下には目には見えない川が流れているのだ。

柚木さんの作品は楽しみながら軽く読めるものと、ずしりとした重みがあるものの、2パターンがあると思うけど、これはどちらでもなかった。

軽くはなく、だけど重くもなかった。

ページをめくる手が重く感じるほど、ずしずしんとした重さやどろどろした暗さはなかった。
私が、家族の仲が良くて愛されて育った菫とは対岸に位置する光晴側の人間だから、その重みが馴染みのあるものだったからかもしれない。
わたしには自然にさらさらと流れていくように見えた。

見えないようにして蓋をした暗い思いはどうなっているのだろう、本当にどろどろしているのだろうか。さらさらと流れていく暗い思いだってあるのではないだろうか。

きっとそれをどこにも流れ出さないように堰き止めるから、どろどろと足元に絡みつき引きずり込まれるようなものになってしまうのだ。

人は明るい思いだけで生きているわけではないから、暗い思いがさらさらと流れていくのを許してもらえないだろうか。

それで離れて行く人はいるかもしれないけれど、菫が自分の強さを信じて、信じることを許そうと思ったのと同じように、流れ出してしまうのを許そうと思う。