本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』パク・ミンギュ

どう見ても三位と四位が平凡な人生で、六位は弁明の余地がない最下位の人生に見える。それがプロの世界だ。平凡に暮らしていたら恥をかくのだし、そこそこ頑張っても恥をかくのは同じだ。できる限り、目ぇ回すほど頑張って初めて「やるだけのことはやってみたんだね」と言われるのであり、イカれる寸前まで頑張って初めて「ちょっとは頑張ったね」と言ってもらえるのであり、ついに腰が砕けて再起不能になりそうなぐらい頑張ってやっと「よくやった」と言ってもらえる、相当に異常だと思うけど、それがプロの世界だというんだから。

 

主人公の地元の野球チーム、三美スーパースターズはとにかく弱かった。
「負けるためにこの地上に降り立った敗北の化身」のようなチームであり、「今日も負け、明日も負け、二連敗したので一日ゆっくり休むと翌日もまたもや負ける」チームであり、「ある意味では用意周到に負けていた」ともいえるチーム。
野球に全く詳しくない私でもこれはすごいのでは、と思える華々しい負の記録を次々と打ち立てるチーム。
とにかく弱い。

しかし、このチームのモットーは「打ちにくいボールは打たない、捕りにくいボールは取らない」だったりする。
そもそも勝とうだなんて思ってない…?

他チームが優勝を目標と掲げる中、このチームが春キャンプに向けて出発する時掲げた目標は「野球を通した自己修養」
ここまでくるとあっぱれ!

この三美スーパースターズは負け続けた結果開き直ってこの境地にいたったのではないのである。
そもそも韓国でプロ野球が始まったその時から、チームが華々しくスタートした当初からこのスタンス。
素晴らしい!

この本を読んだあと、なんだか「普通」のハードルって、「普通」の基準ってどんどん上がっていってはしないだろうか、と思った。
頑張って頑張って傷ついて疲れてくたびれて、やっと届くみんなが思う「普通」
それって本当に普通なの。
そこそこ頑張っている普通以下の人はどうなるの。
みんな頑張ってるのにひとりでだらだらして、みたいな目で見られるの。
それっておかしくない。
なんのために戦っているの。
本当は誰かに戦わされているんじゃないか。

書評家の豊崎由美さんが「私に50万円あったら今疲れている人みんなに配って回りたい」と言っていた意味がよくわかった。

真面目な話だけじゃなくてエンタメ性もしっかりあって、
東山彰良さんの『流』に通じるような、くだけてる感じ、ふざけてる感じ、自虐的な感じが絶妙で男子!感に溢れたというやりとりや描写があったり、
韓国の流行歌や政治の歴史や不動産事情に触れることができたのも楽しかった。

 


「勝ち負け」じゃない、とか。
「自分の野球を」とか。
シンプルだけどシンプルだからこそ結局何が言いたいのだかわからないような、ともすればぼやぼやと霞んでしまうようなシンプルなメッセージがスパンっと真ん中に打ち込んでくるようなそんな小説でした。

 

 

 

 


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セウォル号沈没事件について作家、詩人、批評家らが書いた思想・評論エッセイ集でパク・ミンギュはその本のタイトルにもなった「目の眩んだ者たちの国家」というエッセイを書いているけど、それを読むと彼はいかに資本主義が人を疲弊させ、新自由主義がどれほど人を踏みつけにしてきたのかを見つめる作家であるかがわかる。

三美スーパースターズ最後のファンクラブ』もそうだったし、『亡き王女のためのパヴァーヌ』でも、そうして戦いの中に放り込まれ疲弊しずたずたになっていく人々が描かれていた。

 

 

 

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