本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『女の子の謎を解く』 三宅香帆

私はけっこうずっと「批評」が好きでした。面白い批評を読んだときの「そういうことだったのか!」と、世界は変わってないのに世界の見え方が変わることで、自分の世界がひっくり返る瞬間が好きなのです。

 

ドラマ映画小説はいかに社会や時代を反映しているか、その要請に応えてきたのかを複数の作品のヒロインの描かれ方、またアイドルを通して分析しながらも一本筋の通ったテーマで書かれていてすごい楽しく面白くスリリングな批評本だった。

 

時代の要請に応えてきた作品ばかりではなく、時代を先取りして書かれて今になってやっと作品が描きたかったであろうことに時代が追いついてきたんだって作品も紹介されていて、作品って作品だけでは生まれえなくて、その誕生を要請する何かがあるんだなぁ、社会とか時代とかもちろん人とか、誰かの為に作られてるんだなぁ、とじんわり感動もした批評本だった。

 

批評っていうと堅苦しい印象を持ちがちだけど、もっとざっくり言うと作者がその作品を見て読んで思ったこと感じたこと考えたことが書いてある本だ。
私は自分とは違う視点や考えを持った人の話聞くのが好きなんだけど、何もそれは特別なことじゃなくて誰しもそうで、だからSNSで感想を書いたりタグで検索したり、いいね!を飛ばしあって盛り上がったりするんだよな。
と思いつつ読んでいたら著者の三宅さんもあとがきで批評の面白さについて書いていて、
「私が批評好きな理由も同じです!そしてこの本もとっても面白い批評でした!」と伝えたくなった。

 

批評には自分とは違う視点ではなくて、同じように感じていたんだけど自分より視点が深くてより深く言語化してくれているものがあって、「私もそれ感じてたけどうまく言葉にできなかったの!ありがとう!」っていう批評を読む楽しさもある。
「私以上に私のことを知ってる君」西野カナの歌詞みたいな「私以上に私のこと知っている」批評と言いましょうか。

 

この本にもそうした西野カナ的批評がぽろぽろあった。

例えば、宇佐美りん『推し、燃ゆ』の批評。

私には家族もいるしそれなりに友達もいるのに、誰にも頼らずずっと一人で生きてきたという感じが拭えなくて、この感じはなんなんだろうと常々思っていたけど、主人公(あかり)は「自分のことを分かってくれる、自分にとって意味がある、と思える他者はいない。あかりは、現実を誰からもケアされない世界だと感じている」とあって、それだわ…となったり。

 

他にも、友達とバチェラー新シーズンの話になって「恋愛リアリティーショーって居た堪れなくて見れないんだよね…でも何故かバチェロレッテだけは見れたしどハマりしたけど。でもバチェラーは怖くて見れない…黄さん気になるけど怖い…」と言った翌日に読んだ山岸涼子日出処の天子』について書かれた箇所で『「媚びる」女性は、自分たちの性が弱いことを受け入れてしまっている。わざわざ弱さを見せつけに行く、その姿勢に嫌悪を覚えてしまう。弱いから、低く見積もっていいのだと自ら下に潜り込むようなその姿勢に。なぜ自分から下に出るのだと、嫌悪する。』とあって、そ…それかも…となったり。

 

そしてずっと三宅さんを追っかけているファンとして嬉しかったのは、今まで三宅さんがTwitterで呟いていた作品がこの本で語り直されていたこと。

あとがきで「自分の引き出し全部開け」状態で書いたといっていたけど、それをいうなら私の引き出しはすかすかで薄っぺらい感想がしわくちゃになってちょろりと入ってるだけだな…とちょっと悲しくなった。

三宅さんの呟きをきっかけに読んだ本もあるのに、私と三宅さんでは同じ作品読んでも引き出しに入るものが全然違う。

三宅さんのそれは自分の中を作品が通ってできたしっかりとした果実という感じがした。しっかりと咀嚼して消化して自分の考察もたっぷりと詰まった果実。

私も誰かの批評や感想を通さずに作品を理解して、作品から直にもいだ果実を引き出しの中に詰められるようになりたい。

そうなるためにはまだまだ他の誰かの目線を通した作品に触れて、いろんな人の視点を借りて学ばないといけないだろう。