くっだらねえな、と自分の夢想だかネットの押し付けがましいイメージだか両方に対して敵意を持つ。本当にそういう世界があるなら少しくらい見てみたい思いもないではない。どうせできないなら、しかし妙な希望を抱くよりもすっぱり諦めて小ばかにしているくらいの方が精神衛生上いいのだ。これはサクマの数少ない処世術のうちの一つだった。
第166回芥川賞を受賞した砂川文次『ブラックボックス』をやっと読んだ。候補作のうちに読んでおきたかった…。今回は候補作が全然読めてない。
砂川さんが芥川候補に選ばれるのはこれで3回目で、以前の2回は2作とも、砂川さんの元自衛官という経歴の影響か戦争を題材にしたものだった。
そのどちらもが戦争描写、戦況が軍事用語を多用した文で綴られて状況が掴みにくく、難解だった。
しかし今作の『ブラックボックス』は主人公のサクマが元自衛官という共通項はあれど、現職は自転車で都内を駆け回るメッセンジャーで、私にとって非現実ではない地平で起こる物語だったので、臨場感がありすんなり読めた。
私が軍事用語に詳しくて、ミリタリーオタクだったら前候補作2作とも楽しめたのかもしれない。
それくらい自転車に乗って走っている時の体に伝わる振動とか流れていく景色に臨場感があって没入しやすかった。
メッセンジャーとして自転車で都内を駆け回る描写で、物語の中にスルッと入っていけたからこそ、その後に綴られるサクマの「ちゃんとしなければいけない」「ちゃんとできそうにもない」という焦燥感や鬱屈も身近に感じられたのかもしれない。
そう考えると、まず間口の広い風景描写や共感度の高い身体描写で読者を引きつけてから、より深い内面描写に引き込んでいくっていうやり方はうまいなぁ。
サクマは元自衛官で今はメッセンジャーをやっていると書いたけれど、その間にもいくつも職を転々としていて、そのどれも辞めた理由は対人関係がうまくいかなかったというものだ。
というよりも、人と何かトラブルが起きた時、何か揉めた時に自分の感情を制御することができないからだ。自分の感情を抑えることができないので職を転々としてきたのが本当のところだろう。
転々とした先に行き着いたメッセンジャーという職業も若さを資本とした職業なので一生続けられる仕事ではないとサクマもわかっていて、だから「ちゃんとしなきゃ」とは思うんだけどその方法がわからずに鬱屈としている。そして作品の最後にはこれ以上転々としようもないところまで落ちてしまう。
世間一般の普通の人のようには人生が進まない、ちゃんと生きられない、社会に適応できない人、「普通」からこぼれてしまう人を書いた芥川賞受賞作は多い。前回受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』もそうだったし、ベストセラーになった村田沙耶香『コンビニ人間』もそうだった。
しかしこの『ブラックボックス』はその2作に比べて、明かりが見える終わり方だ。
今までちゃんとできない自分の性質やままならない人生に鬱屈し、ちゃんとしてる人の人生を小馬鹿にして過ごしてきたサクマが、ちゃんと人と関わって向き合って、自分の人生に他者を受け入れていこうとしていること、自分の感情ばかりに囚われ閉ざすことなく、他者との関わりにひらけていった終わりで、かすかに明かりが見えた。
まだこの作品と島口大樹『オン・ザ・プラネット』の2作しか読んでないけど、受賞したのも納得する作品だった。
もう今回の芥川賞は決まったけど、まだ面白そうな候補作はあるし、後の3作も読む。
砂川さんみたいに何度も候補入りした末に受賞する作家はたくさんいるし、未来の芥川賞作家の作品に出会えるかもしれないし。