本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

読書日記 言葉が世界だ

こういう例を知ると、私たちは言葉を通してしか世界を理解できないと考えたのではまだ不十分で、「言葉が世界だ」と考えざるを得なくなってくる。「世界は言語だ」とすると、言葉を使う人間がいなくなることは、「世界」がなくなることと同じだということになる。これが言語論的転回以降の言語観である。

第二の性』で一番有名なフレーズは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」だろう。「女に生まれる」と考えるのが本質主義の立場で、「女になる」と考えるのが構築主義の立場だ。したがって、女性は「女らしく」なければならないという価値観は、文化がそれを変えることを望むなら変わるということだ。だから言語的転回がなければ、フェミニズムはおそらくここまで発展しなかっただろう。

 

昨日に引き続き、石原千秋『読者はどこにいるのか』を読んでいる。

 

 

bookbookpassepartout.hatenablog.com

 

 

昨日読んだ第1章にフェミニズム的視点からも語られそうな文学部の話が出て、たまたまだろうと思ってたけど、第2章にも出てきた。

石原千秋って漱石研究の人っていうイメージしかなかったけど、そんな一面もあったんですね…。

 

単純に文学について学ぼうと思って手にとったこの本だけど、構造主義とか言語論的転回についても学べてすごく面白い。

 

「言葉によってしか世界を理解できない」とは感じていたけど、そこから「言葉が世界だ」までは行き着けていなかった。

でも「言葉によってしか世界を理解できない」より「言葉が世界だ」の方がまだ世界の把握の仕方を自分次第で変えていけそうで、気持ちが楽になる。

 

ずっと語彙を豊かにしたい、豊かな言葉を使えるようになりたいと思っていた。

今、「言葉が世界だ」という言葉を知って、私はずっと世界を豊かにしたかったのだなと気づいた。

言葉が豊かになって、大まかな把握ではなくて細部まで理解できるようになったら、当然のように世界の嫌な側面も細かくなって解像度が上がって辛い思いをすることも増えるだろう。

でもそれだって必要なことで、世界のよい部分だけを豊かにしたいとは思わない。

言葉を豊かにして、世界を深く豊かにしたい。

それができた時、どんなものが見えてくるだろう。

その世界で生きていることが、生きていくことが何かいいものに思える世界だといいのだけど。