読書日記 「卒業の終わり」
私たちはずっとあそこにいた。生まれてからずっと同じ場所で暮らしていた私たちには、何かが過去になるという感覚はまだわからなかった。戻れない場所が、戻れない時があるという感覚がわからなかった。
あの頃の私たちに、思い出と言うべきものはまだひとつもなかった。すべて現在だった。
『無垢なる花たちのためのユートピア』を読んだ。短編集で、表題作の美しさ、見てはいけないようなものを見てしまったけれどもそれが例えようもなく美しくて心惹かれてしまって怖いような、触れたら血が流れそうな残酷な美しさも良かったし、他の短編もそれなりの良さがあったのだけど、最後の短編「卒業の終わり」が傑作すぎた。
『わたしを離さないで』が思い浮かぶようなディストピアであり、フェミニズムでもシスターフッドでもあるけど今まで読んできたそうした小説の中でも群を抜いていた。泣いてしまった。酷すぎて辛くて泣きそうになっているところにタイトルの意味を解き明かすシーンが来て涙した。
物語は主人公の雲雀草が生まれた時からそこで暮らしている全寮制の女学園パートと、そこを卒業して外の世界で社会人として働くパートに分かれている。
私が涙したのは、女学園時代では隠されていたけど、社会に出ることによって、本当の自分たちの役割が明かされていく様子が辛くて、でもそこに微かな希望が見え始めた後半パートだったけど、前半の女学校パートもなかなか辛いものがあった。
雲雀草と雲雀草の初めての友達でいつも一緒にいる雨椿との共依存的友情は読んでいて辛かった。
かけがえのない存在とか、かえのきかない存在とかいうけれど、それは美しいものだとされているけれど、それって一歩間違えれば地獄で、風通りを良くしておかないとすぐに淀んでいってしまう。
雲雀草にはかろうじて月魚という、雨椿とは違ったタイプの友達がいたからよかったのかもしれない。でも雨椿には。
かけがえのない存在って怖い。そう思うのも思われるのも。
全体重をそんな存在にかけてしまわないようにするためにも、保険ではないけど、代替品ではないけど、もうひとつふたつ用意しておいて分散させないと。
それよりなにより、自立していないと。きちんとひとりでいることができないと。