「削除したら、証拠がなくなっちゃう。そしたら、なにもなかったことになる。そうなったら、タイラーは……」
あたしはそのまま黙った。でも、ライリーはそのつづきがわかってるみたいに唇を噛んで言った。「そうなったらタイラーは別の子に同じことをやるだけ」
友達がいないヘイゼルは、あるきっかけから、いつも友達に囲まれてるエラと話すようになり、そこでエラが元カレのタイラーから性的な嫌がらせを受けていることを知る。
ある理由からタイラーのことならなんでも知っているヘイゼルは、エラの親友ライリーと共に打倒タイラーに動き出す。
自分以外の人も被害に合っているかもしれない、これから被害に合うかもしれないと気づいて、自分の被害をなかったふりをすることをやめる。それって改めて考えるとすごいことだと思う。
1人だったら諦めるけど、他にも傷ついてる人がいるとわかったら諦めることをやめる。
自分がされてきたように、人が受けてきた痛みを想像すると、許せない気持ちが湧き上がる。まさに連帯。
他に被害者がいることは、分母が大きい痛みは羨ましい。失恋した人を取り巻いてみんなでその人を慰めているのはどこか微笑ましい。
自分にはわからない痛みには、分母が小さい痛みはみんな遠巻きに眺めているだけ。
エラが諦めなかったのは、同じ痛みを持つ人の存在を想像できたからで、そう促したヘイゼルやライリーがいたから。一緒に戦ってくれるだろうヘイゼルとライリーがいたから。
目に見えない人たち、目の前にいる友達と連帯できたから。
現実には、連帯できる誰かがいる人ばかりではない。
そろそろ誰とも連帯せずに1人で戦う話が読みたい。友達がいないままで、誰とも連帯せず自分のためにだけに、よりよい社会作りの為に貢献する訳でもない話を読みたい。
悪と戦うためには連帯しなくてはいけないんだろうか。
1人で戦って1人で復讐して解決するよりも、みんなで連帯して絆を高め合って、みんなで勝利した方が多くの問題が解決して、より多くの利益になるから良いのだろうか。
これはいわゆるポリコレ疲れみたいなやつだろうか。
