本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

4.『漫才過剰考察』

先日M-1連覇という快挙を成し遂げた令和ロマン高比良くるまさんが、漫才を過剰考察したエッセイのプロローグはこんな一節から始まる。

 

愛を持って懸命に努力していないから、その分もちろん報われなかった。

焦りは感じた。でも寝たら忘れた。

このままゆるい不幸がダラっと続いて死んでいくと思っていた。

 

受験も部活も進路選びも、自分の中に熱い思いや理想や願望があって、それに突き動かされて進んでいくのではなく、みんながそうするというから受験もしみんながそうするからと浪人もし、様々な局面で周りに流され、ぬるっと選択してきた。だけど、なぜか成功のルートに乗っていってしまう。受験には成功し、お笑いコンテストでは順調に勝ち残っていってしまう。

報われていいほどの努力も熱量も持っていないのに、なぜか良い結果が出る。その度に衝撃を受け、「神様が何か使命を与えているんじゃないか」と考え始める。

そこでやっと「これは何かある」「自分には何かある」と考え始める。

くるまさんの文章はここから段々熱を帯び始める。

 

お笑いにも本腰を入れ始めて、初めて戦略を考えたり、だけどそれは「正い努力ではない」と引け目を感じつつも続けているうちにM-1準決勝まで行く。その後もNHK新人お笑い大賞優勝、コロナ禍を挟んでのABC準優勝M-1敗者復活戦二位と順調にキャリアを積んでいく。そして初めてのM-1勝戦、トップバッターでの優勝。

優勝といったらもう上がりだ。完成だ。だけどくるまさんのなかでは何も終わってなかった。終えることなんてできなかった。自分は漫才師として未熟だとの思いがあった。だからそこでも衝撃を受ける。

『漫才過剰考察』のプロローグはこんな一節で終わる。

 

やっぱりなんか意味がある。やってやろうじゃねえか。全部書くよ。

何も残らないほど書くよ。

 

 

このプロローグは、ずっと低体温でゆるい不幸を感じつつダラっと生きてきた人間が、それでもなぜか成功してしまい、「なんだなにが起きているんだ」「自分はなにを求められているんだ」と考え言葉にしているうちに、その対象、漫才をどんどん好きになっていく過程、どんどん熱を帯び本気になりのめり込んでいく様が書かれている。

 

考えること言葉にすることはそれほどの魔力がある。考えれば考えるほど言葉にすればするほど、その感情は熱を帯び加速する。

 

そうしたプロローグから始まった、漫才の過剰考察とは、例えばM-1の◯◯年大会はこういう空気ではじまり、こういうネタの後にこういうネタが続き、だからこういう空気になって、その結果このコンビが優勢あるいは劣勢になりこのコンビが優勝するに至った、という考察や、今の時代はこうでこういう空気感でこういうものが求められているから、こういうジャンルのお笑いが受けれやすい等々、微に入り細を穿つ考察がすごい勢いと熱量で語られるのだが、当たり前だが、それも全部言葉だ。くるまさんがめちゃくちゃ考えて言葉にしたものだ。

 

放っておいたら、ただの偶然でなんとなくダラっと処理してしまう現象を、観察して観察して、考えて考えて、言葉にして言葉にし尽くす。

考えて偶然を必然にする。言葉にして意味を与える。

ダラっとぬるっとしていたものに言葉が形を与える。言葉で熱を発生させる。

考えることは言葉にすることは、必然や意味や熱や愛を作り出すことだ。

 

私はくるまさんが愛を持って懸命に努力し続けた結果が今回のM-1二連覇という快挙だったと思う。それと同時に、その愛を愛として形にしそれを動かすガソリンたり得たのが、考察と言葉の力だと思う。