なのでおそろしいことだが、当時の文章をできるだけ残す方針に決めた。とはいえ不安でいっぱいであります。おそろしいことです。それでも当時の自分の精一杯が、これだったのです。無防備だし不用意だし文章は読みづらいし、だけど、これで精一杯だったのですよ……。本当に申し訳ないことです……。
去年話題になった新書『なせ働いていると本が読めなくなるのか』の著者三宅香帆さんが、2019年に刊行した『人生お助け処方本』を新書化したもの。
処方本というタイトル通り、悔しいとき一目惚れしたときカップラーメンが出来上がるのを待ってるとき、とその時その時にあう「こんな本どうですか?」という提案をしてくれている。
新書のタイトルも良い。人生ハピハピでない感じが良い。信頼できる。
生きるっていうことは悩みの連続だししんどいし面倒なものなんだけど、それはネガティブなことマイナスなことではなく、ただの事実で、生きることがしんどいのは0地点なんだ。だから慌てず騒がすとりあえす本を読もう。そんな気持ちになる。
三宅さんがまえがきでもあとがきでも書いているように、確かに文体が若々しく勢いがあるというかテンションが高いというか、とにかく若者感がある。それに三宅さんが悶えるのもわかる。昔の自分が書いた文章というはとにかく恥ずかしい。私も数年前に書いたものを読むと気恥ずかしさに「滅殺…!」という気持ちになる。
今日書いたこの文章も何年後かに読んだら「滅殺…!」となるだろう。
でもしょうがない。そういうのを繰り返さないと変われない。内面を外にださないと他者に開かないと、自分の恥ずかしさにも未熟さにも痛々しさにも気づけない。自分が迷惑な人間なんだってことは迷惑かけてみないとわからない。
自分の領域ギリギリにまで手を伸ばさないと、その外に何があるのかわからないのだ。
自分が欲しいと思うものって、「今の」自分を一番満たしてくれるものでしかない。実際はそのほかの、見たことのないもののほうが、もっと自分を満たしてくれるものかもしれない。ほかのものを知らないだけかもしれない。
けれどそれが今の自分のなかに選択肢としてない限り、それを欲するしかない。