本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

9.『源氏物語 巻一』

2024年の大河ドラマ紫式部ということで、2023年辺りから源氏物語や平安文学についての本を読んできて見事に沼にハマった。

私だけではなく世の中的にも源氏物語ブームが訪れ、さらに気分は盛り上がり、他の平安文学にも手を出したりした。

しかし大河ドラマが終わりに近づくにつれ、このブームが終わった後も私はこの熱を持ち続けられるのかという一抹の不安が。

しかし源氏物語は面白いっ。まだまだ沼は深い私なんてまだまだ浅瀬でチャプチャプしてるだけっ。今年も読むぞっ。

ということで2025年は瀬戸内寂聴源氏物語で読書始めをすることにしました。

 

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これまでに『あさきゆめみし』、角田光代訳、ウェイリー版毬谷まりえ森山恵らせん訳を読んできたのですが、寂聴版はどうなのか。どきどき。

せっかくなので一巻ごと、いや一帖ごと感想を書いていきたいと思います。

なにせ今年の目標は「言語化の鬼に私はなる」

 

 

「桐壺」

源氏物語の始めは、主人公光源氏のお父さん(桐壺帝)がお母さん(桐壺更衣)を愛しすぎてしまったがゆえに、死に追いやってしまうという話から始まる。結構衝撃。それだけで長めの小説になりそう。

 

この寂聴版を読む前に栗本賀世子『平安時代の舞台装置 平安文学と後宮』という、天皇が住む内裏の中で後宮の建物がどんなふうに配置されているのか、どの建物にどの女御が住んでいるのか、その配置がどう物語に影響しているかを書いた本を読んでいた。

 

だから、桐壺更衣が桐壺帝のもとに行くまでに歩く廊下に嫉妬した他の女が汚物を撒き散らかされていて、服の裾が汚れてしまうとか、廊下を歩いていたら、端と端にある扉を閉められて閉じ込められたとか、そんな嫌がらせをリアルに感じる。なんというか嫌がらせが三次元四次元に感じられる。

頭の中に内裏の図があるから、更衣がどこをどう歩いているとか、帝のいる部屋まで遠いこと、その距離感を理解しているから、行き着くまでの時間の長さにまで想像が及んで辛い。

廊下っていうものが頭の中に立体的に浮かび上がるから、汚物で濡れた着物の裾をひきづって歩かなきゃいけない惨めさにまで思い至り、辛い。そこまで思い描けると臭いまで漂ってくるようで余計に辛い。

 

 

 

 

「箒木」

雨の夜、男4人が光源氏の部屋に集まり、「あんな女は駄目だ、こんな女がいい」と品定めする「雨夜の品定め」で有名な帖。

光源氏が聞き役に徹しているというのがなんともニクい。

 

この帖では光源氏は10代後半で、まだ経験豊富というわけではなく、でも結婚はしていて浮気の一つや二つもしていいるのに、積極的に話に加わることなく聞き役に徹している。たまに狸寝入りもしたりして。

それがニクい。もしかして「この話炎上しそうだなぁ。触れないでおこう」とでも思っているのか。だとしたら危機管理能力高し。

主人公をこうした下衆な話に参加させることなく、傍観者にする紫式部の采配もすごい。

 

「男の浮気を黙って耐え忍ぶ女がいい」と話しているのを読むのは、後に光源氏の妻となり、数々の浮気に耐えなければならない紫の上の胸中を思うとつらい…。そりゃ男にしれみればいいけど、耐え忍ぶ女がどんな思いをするか…。その浮気される女、紫の上の苦しい胸中が後に切々と書かれると思うと、この「雨夜の品定め」はその前振りとしてめちゃくちゃ効いている。紫式部すごい。

 

「空蝉」

姉空蝉と光源氏の仲を取り持とうとする小君が可愛くも可哀想。なかなか空蝉との逢瀬を叶えてあげられなくて光源氏が可哀想だと思う小君が可哀想。

箒木に出てくる男たちもそうだが、小君も光源氏のことが好きで、光源氏って男にもモテてたんだなということがわかる。

 

空蝉は人妻で、既に箒木の最後の方で光源氏と関係を持っており、これ以上逢瀬を重ねると夫や周りの女房にバレるのではないかという危機感を持っている。だけど光源氏は空蝉の置かれた立場など一顧だにせず、どうにか会おうとする。

まったく光源氏は人の立場も考えず自分の感情だけで動いて勝手だよなー、とイライラするけど、ふと我に帰ると、それが恋愛というものでは…?とも思う。

相手の感情とか立場とか考える冷静さなんてなくて、会いたい!となったら、会いたい!!しかないのが恋愛なのでは。もしかして。

 

でも一方で空蝉は「夫がいたら光源氏ともっと良い感じになれたのに」と嘆くも、夫を捨ててでもいいから光源氏と共に!とならない時点で冷静なのかも。惹かれてはいるけど自分の立場を捨ててもいいとはならない程度で、そんなに好きじゃないのかも。

 

「夕顔」

帖の名前の通り夕顔という名のヒロインとの出会いと別れが書かれる帖。

この帖では夕顔について解説されることが多いけど、今回読んでみて惟光が気になった。

私は物語内の関係性でいうと主従関係が好き。

「光る君へ」でいうと道長と百舌彦とか。まひろと乙丸とか。

 

これまであんまり意識したことなかったけど、光源氏と惟光もそういえば主従関係だった。

頭中将は光源氏の悪友で同じように女好きなんだけども、それは惟光も似たようなもんだった。

惟光は光源氏の乳母の子で従者で、光源氏が目をかけた女との橋渡しの役を担う。今で言うと、いやちょっと例えが古いけど、叶姉妹の美香さんみたいな感じ。お姉様が街で見かけたグッドルッキングガイに声を掛けて捕まえてくるみたいな感じ。

 

この帖でも、「この家にいい女がいるのでは?」と勘づいた光源氏のために、惟光はその気もないのにどんな女がいるのか探るためだけに恋文を送ったりする。

惟光も結構積極的で女慣れしてる。

 

あれこれあって晴れて光源氏と夕顔は結ばれ、またあれこれあって夕顔が突然死してしまうんだけど、それはとても公にできないことだから、惟光が暗躍して葬儀やらなんやらの後始末をする。惟光大変。光源氏の体裁を保つために暗躍する惟光をみていると従順でいじらしく思うとともに、やっぱり光源氏は男にもモテるなぁと感心もする。

 

光源氏と惟光の関係性ってそれほど語られていないのはなんでなんだろう。もうちょっと解釈とか分析されてて欲しいし、従者にまつわる豆知識とか教えて欲しい。女房については色々書かれているのに。

 

 

「若紫」 

藤原公任紫式部のいる部屋を「このあたりに若紫はいるかな」と覗いたというエピソードでお馴染みの若紫。

公任のこの挙動はいわゆるウザ絡みだけど、このことを紫式部が日記に書いて残しておいてくれたからこそ、この時期に若紫の帖は書かれていたし貴族の間で読まれていたという史実がわかる。

ウザ絡みも場合によっては、後世に有益情報をもたらすようだ。

 

この帖では光源氏の最愛の妻と呼ばれる紫の上(若紫)との出会いが書かれている。

この時点で若紫はとても幼い。ほぼ幼女。でもとても美女。

そんな幼女を見て、光源氏は「一緒に暮らして、自分の思い通りに理想的な女に育ててみたいものだ」と思う。

光源氏はそれまで、雨夜の品定めで仕入れた「中流の女っていいぞ」という情報を元に色んな中流女性に手を出していたのに、ここにきて急にロリコンに。

今までの女遊びは外在的欲望で、今度のロリコンこそが光源氏の内在的欲望、本望なのか?と思ったけど、解説によると雨夜の品定めでも「妻は子供っぽい無邪気な女を、好みの女に育てていくのがいいという説」が話されていたらしい。気づかなかった。

そうすると夕顔や空蝉に手を出したのも、若紫に手を出したのも、雨夜の品定めの男子トーク由来ということになり、光源氏に色んなことを吹き込んだ諸先輩方の害悪性が浮き彫りになってくる。

先輩の影響ってすごい。

 

だがしかし、中流の女を追い求めるのもロリコンも諸先輩方から触発された外在的欲望なのかもしれないけど、幼い女の子を理想の女に育てたいという願望の中の「理想の女」というのはどんな女なのかというと、藤壺以外にいない。

やっぱり光源氏はとにもかくにも藤壺なんだ。

そこが唯一無二の光源氏の内在的欲望なんだ。

 

空蝉の弟にもモテ、惟光にもモテてきた光源氏だけど、この帖では僧都にもモテている。あまりにも美しいもんだから、涙ぐんだりしている。

あとの帖にもおばあちゃんが光源氏の美しさに涙するシーンがあるんだけど、私はなんかこの涙が好きで。

年を取って涙腺が緩くなっているのもあるかもしれないけど、美しいものを見て思わず泣いちゃうその感受性にグッとくる。

なんの涙なのか、なにがどう作用してそうなるのかわからないけど、涙がでてくるっていうこの一連こそが、いわゆる「あわれ」なのではないか。