本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

10.『雪』

『雪』はトルコのノーベル賞作家オルハン・パムクが現代トルコにおける政治と信仰の対立を書いた小説。上下巻本。

 

トルコの端っこにある地方都市カルスでは、イスラム主義者と世俗主義者(政治と宗教はわけようと考える人たち)で争っている。

学校では世俗主義をとっており、イスラム主義の女の子たちは学校ではスカーフを取るように強要されていた。それが原因かどうかわからないが、少女の自殺が続いており、主人公のKa(カー)は取材をするため街にやってくる。

 

以下ネタバレを含みます。

 

 

Kaはアシタカ?

私はこの小説を「もののけ姫じゃん!」と思いながら読んだ。宮崎駿の映画『もののけ姫』は森とたたら場の争いにアシタカというアウトサイダーの青年が巻き込まれ仲裁役になる構図だが、この『雪』におけるKaもアシタカに似たようなもので、イスラム主義者と世俗主義者の間を右往左往している。それが『もののけ姫』を連想させた。

しかし最初は似た構図だと思って読んでいたものの、段々とこのKaの恋愛体質があらわになってくる。

Kaはもともとカルスに居たのだが、政治的理由でドイツへ亡命していた。それが取材のために戻ってきたのだが、亡命前から憧れていたイペキという美女に帰ってきてそうそうぞっこんなのである。

もうほぼイペキのことしか考えていない。とにかく「イペキと一緒にフランクフルトへ帰りたい。そうすれば幸せになれる」そればかり。

全然アシタカじゃなかった。

Kaには政治的信条も信仰もない。(政治的理由で亡命したんじゃないのかお前は?)とにかくイペキイペキ。

あらすじには政治と宗教の戦いとあるが、これは政治と宗教と恋の三つ巴の戦いである。

 

恋vs信仰

そして恋に身を焦がしているのはKaだけではない。

イペキの妹カディーフェとカディーフェに恋するファズルがそうだ。(どちらもイスラム主義者)

カディーフェはイスラム主義グループのカリスマリーダー〈群青〉と交際していて、その彼は敵対する組織に捕まってしまい、その解放と引き換えに人前でスカーフを取ることを強いられる。

そのカディーフェに恋するファズルは、カディーフェがスカーフを取ったら自殺すると言い出す。イスラム主義では、神様の創造物である自分を粗末に扱うこと、自殺は禁止されているのにもかかわらず。

 

『雪』を読んでいて印象的だったのは、無神論者Kaの恋愛体質だけでなく、信仰心を持っている人たちも恋と信仰で揺れていて、恋する気持ちと信条を天秤にかけていることだった。

 

私は典型的な日本人なので神社にも行くし寺にも行くしクリスマスもそれなりに楽しむ。

そんな人間からすると、宗教を持つ人間は教義が絶対で、信仰心の前では恋なんて簡単に挫けてしまうものだと、なんとなく思っていた。

 

信仰を持って神様を信じている人たちでも、それが揺らぐことがあるんだ、そう思ったところで、村田沙耶香『消滅世界』のある一節が頭をよぎった。

 

その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに

 

イスラム主義と世俗主義が対立している世界で、個人の感情として恋愛感情が出てくる。自分の感情に従うのか、イスラム主義もしくは世俗主義に従うのか、選択に迫られる。

どれがこの世界に適しているのか、どれが多数派で常識なのか、定まっていないからこそ、彼らはこんなにも苦しいのではないか。

 

この世界で正しくて一般的だとされている適した狂い方でみんな等しく発狂することができれば楽なのに。

 

カディーフェの憎悪

Kaは無神論者なのでちょくちょくイスラム主義者から辛辣なことを言われている。「失礼ですが、あなたは無神論者ですか?」とか、「苦難が無駄なものだなんて思うのは、あなたが苦労しらずの無神論者だからです」とか、それを読んでるこちらも耳が痛くなるものばかりだ。

 

なかでもカディーフェが特に辛辣なのだけど、カディーフェがスカーフを取るか取らないかの選択を迫られている時に、Kaは「かつらをかぶればいいんじゃないか?」とか適当なことを言い始め、ついにカディーフェに憎悪の目を向けられこう言われる。

 

西欧化していない人を原始的で不道徳な下層階級だって決めつけて、殴ってまともにしてやろうとする世俗主義そのものよ。

 

イスラム主義のカリスマリーダー〈群青〉にもこう言われる。

 

ヨーロッパ人ぶるあなたが習ったのは、民衆の信仰や伝統を馬鹿にしろってことだけだ。そのせいで、自分こそがこの国の主人でございって顔をしてるのさ。善良かつ道徳的な人間でいようとするくせに、あなたはこの国の民衆と同じ宗教や神を信じて、彼ら暮らしをともにしようとはしない。ただ西欧人の猿真似をしていれば善良な人間になれると思っているんだ。

 

この2人の言葉は「耳が痛い」程度ではすまなかった。

私が先ほど思った、「多数派に合わせて狂っちゃえば楽なのにね」という考えは、〈群青〉のいう「ヨーロッパぶるあなた」の態度と違わないのではないか。

自分が正しい側で一般的だとされている側で、多数派だからいえるような安穏とした、少数派に対してとても無神経で不遜で少数派を踏みつけるような態度だったのではないか。

 

宗教上の理由で自爆テロを起こす人たちを「原始的で不道徳な下層階級」だと思っていなかっただろうか。

その人たちが信じる神のことをなにも知らず、その人たちの暮らしも知らないのに、「民衆の信仰や伝統を馬鹿に」していなかっただろうか。

 

この小説を読む前も読んだ後もカディーフェや〈群青〉の信じるものや信仰心はわからないままだ。

だけど以前の「わからない」はどこか見下した態度だった。読み終えた今では空虚で呆然とした気持ちで「わからない」。

それが前よりすこしはマシな「わからない」になっていたらいいと思う。

 

 

おわりに(海外ドラマは世界を救うか?)

なにかと言い争いが多い小説だが、読んでいて平和を感じるシーンもあった。

そのひとつが、みんなでメキシコの『マリアンナ』というドラマを見ているシーンだ。トルコで放送されているのでトルコからしたら海外ドラマであるそれに、イスラム主義者も世俗主義者も夢中になっている。

それが物語好きの私には物語の可能性、力を感じて心が温かくなった。

相容れない主義主張を持っている人たちをまとめて包み込み夢中にさせる包容力が物語にはある。

もちろんそれが怖いところでもあり、それを悪用されたらとんでもない悲劇を招くことにもなるのだろうけど。

 

それでも無神論者の私にも、宗教や信仰心の複雑さを見せてくれたこの小説のような、物語の可能性と力を信じたい。