キム・ホヨン『不便なコンビニ』を読んだ。書店で見かけて存在は知っていたものの、なぜか読む気にはなれずにいたものだったけど、それがファン・ボルム『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』が本屋大賞翻訳部門1位を受賞した時の3位と知って、これは読まねばなるまい!と手に取った。
『不便なコンビニ』は『ようこそ、ヒュナム洞書店』と同じで、ヒーリング小説と呼ばれている。そう聞くと、ゆるっとふわっとしていて現実の辛さを忘れさせてくれるものかと思いきや、めっちゃシビアだった。
政治不安だとか雇用不安だとか過労、人を人とも思わない労働環境などが、登場人物の背景としてしっかり書かれていて、ゆるくない。甘くない。容赦ない。
容赦ないけど、そんな現実でも生きてかなきゃいけないよね、と背中を支えてくれ、押してくれる。そうした意味ではしっかりとヒーリング小説だった。
タイトルにある通り、舞台はコンビニ。
コンビニオーナー、コンビニアルバイト、そこに訪れる客、それぞれの家族が登場人物で、それぞれ8章ある章の語り手になっている。
特に印象に残ったのは、元ホームレスをコンビニ店員にするために教育係になった就職浪人中のアルバイトと、過労ぎみで職場で人として扱ってももらえず家にも居づらくコンビニでラーメンと海苔巻きと焼酎の飲み食いが唯一ひと息つける時間なお客。
この小説は、コンビニオーナーが財布の入ったポーチを落として、それを拾ってくれたホームレス独狐(トッコ)をコンビニアルバイトとして雇うことから始まる。
その新人アルバイト独狐の教育係になったのがシヒョンだ。
シヒョンは公務員を目指して就職浪人中だが、様々なアルバイト経験があり、いわばアルバイトのプロ。クレーマー対応や商品の陳列、複雑なレジ操作はお手のもの。
その知識と経験を活かして独狐を一人前のコンビニ店員に育て上げるのだが、シヒョン自身はそれを大したことだとは思っていない。自分にとってそれは当たり前で自然にできることだから。
だけどそれを必要としている人はいて、それを人に分け与えることは立派な人助けなのだ。
瞬間、シヒョンはハッと思った。とにもかくにも、自分はこの人を本当に助けてあげたのだ、と。自分はそれを誇りに思ってもいいのだ。
人助けといいうのは、自己犠牲じゃなくてもいい。無私の心じゃなくてもいい。助けた側も助けられていい。助けたことによって得をしても、誇りに思っても自信を持ってもいいのだ。
そういう在り方を、自分本位だとか偽善だとかいう人もいるかもしれないけれど、私が助けられる側だったら、助ける側にそうした特典があった方が嬉しいし、気が楽だ。
そもそも独狐がコンビニアルバイトとして採用されたのも、たまたま深夜アルバイトがやめて困っていたからで、需要と供給が一致した結果。オーナーのヨンスクが聖人君主で、大して儲かってもいないコンビニでも無理をして雇ったというわけではない。
ヨンスクとシヒョンの独狐をめぐる人助けの連環は無理がなくて自然で健全だった。
自己犠牲的精神で人助けをする登場人物を見ると心配になるし、私はそんな風にできないなという罪悪感や、人助けってそいうものでなければならないのかなという圧迫感がなく、安心して読めたのがよかった。
この小説は家父長制のしんどさを女性側ではなく男性側から書いているのも読みどころだ。
その主な語り手になるのが、コンビニのテラス席でラーメンのり巻き焼酎を飲み食いして帰宅するのが習慣なキョンマン。
キョンマンは、会社では「いつやめてもおかしくない待遇」に追い込まれていて、「家庭のぬくもりと安心感、自分の味方であるという同質感は、すでに消えて久し」い状態。
会社は経営難で給料は満足に与えられず、妻はパートと家事で忙しく夫を気遣う余裕はない。
過労で家庭を顧みられず、だからといって給料も増えないので、家に居場所がない状況が続くうち、妻も疲れ、キョンマンも家庭に優しく接することができなかった。そうやって妻にとっては存在感のない夫として、双子の子どもにとっては面白くない父親として、逆転の手がかりもないまま老いていくしかなかった。いや、もし首を切られて再就職もできなければ、その座も危うくなるだろう。
妻にも夫にもそれぞれの辛さはあるけれど、キョンマンのそれは家長ならではの辛さなのではないか。
家長は外でお金を稼いでくるからこそ、家族という内部で受け入れてもらえ、価値がある。お金を稼いでこなければ家に居場所がない。仕事ができない男は情けない。だから仕事の悩みを家族にも言えない。
そんな家父長制の圧に押しつぶされそうになっているのがキョンマンだ。
キョンマンは今年は必ず、自分を冷遇する会社をやめて、新しい職場を探すのが目標だった。妻は心配するだろうが、給料は少なくても、もう少し人間的待遇を受けられる仕事をしたかった。だが、稼ぎが減れば、もはや家で人間的待遇を受けるのは難しいだろう。
日本のドラマや小説でも、会社をクビになったけどそれを家族には言えず、いつもと同じように毎朝スーツで家を出て、公園で時間を潰す男性が出てくることがある。
こういう話を読んでいると、女性だけではなく男性にとっても家父長制はしんどいもので、だったらもうみんなでこのシステムやめませんか?と思えてくる。
そしてこの家父長制というシステムは、より大きなシステム、資本主義や新自由主義のせいなのでは?と思えてくる。
どんどん敵が強大になってくる。
この小説の中で、この強大な敵に苦しめられて、人生を狂わされている人物はキョンマンだけでない。
むしろその人物の方にこそ、より容赦なく降りかかってくる。
その人物が背負わなければならなくなったことは彼にも非はあるけれど、背景にはそうした強大な敵がいる。
韓国文学はフェミニズム小説が豊富で、女性の味方になるような作品がいっぱいある。
だけど、フェミニズムというのは本来女性のためだけにあるものではなく、性差による搾取や抑圧をなくそうという運動。
なので「男性ならではの生きづらさ」を書いたこの『不便なコンビニ』も立派なフェミニズム小説だと思う。
女性の敵として描かれる家父長制だが、それは男性にとっても敵となるシステムで、それはより強大な資本主義新自由主義というシステムにつながる。
女と男で対立して睨み合うのではなく、お互い生きやすくなるために、そこにあるはずの共通の敵を見つけて共闘することはできないのだろうか。そんなことを考えた小説だった。
