「近づきすぎると、限度をわきまえないって言われそうで。押しつけがましいとか、情緒的だとか……。でも、後ろに下がっていれば、無関心なやつだと思われるだろうし。とにかく、僕、ほかのみんなが知ってるルールを習いそこねたんじゃないかって気がするんだ。その日、ちょうど学校を休んだとかで。そのちょっとした境界線が、僕にはどうもわからない」
「バカね。なに言ってんの、おまえは」。そう言いながら、母は卵を一個持ち上げた。「見てよ、これ。一ダースのうちの四個が割れてるの。しかも二個はぐしゃぐしゃ。スウィーニー・ブラザーズってどうなってんのかしら」
しばらく待ったが、母はそれ以上何も言わなかった、エズラはあきらめて台所を出た。
「人とどう付き合っていいのかわからない」という悩み、人との距離感に悩んでいるということを母に相談するけど、母は全く関心を示してくれない。
近づきすぎてるのか離れ過ぎているのかと悩むエズラは、距離感に迷っている時点で人と向き合っている。向き合おうとしている。でも母はそれに関心を示さない。近いとか離れてるとかじゃない。そもそもエズラの方を向いていない。
この小説の作者のアン・タイラーは『パッチワーク・プラネット』が好きで、癒される作品だったので、この作品もそうなのかと思っていた。家族の温かい絆を書いた作品なのかと。
私の家族が機能不全家族だったので、そういう温かい話は辛くもあるけど、自分にないものだからこそそういう話を欲しているとこもあって、惨めになるのか癒されるのかの賭けをする気持ちで読んだが、全然機能不全家族の話だった。
「やっぱり家族が一番だ」と言えるのは、本当にそうである場合以外にも色々ある。
家族以外には誰もいないとか、何か欠落を抱えていて、人生が上手くいかなくて「お前だけは裏切らないよな??」と圧をかけている場合。家族の本当を知らない、内情を知らない、家族の輪に入っていないからこそ、そんなことを言える場合等々。
「やっぱり家族が一番だ」と言えるのは、家族と向き合っていないからこそ、家族のことをわかっていないから、という場合もある。
家族の成員みんながそれぞれ、理想の家族像を持っていて、お互いその理想像を叶えてあげられない。そもそも理想像が違うことにも気づいていない。
家に居るのに、家に帰りたいと思う。
家族といるのにホームシック。
それぞれ全く違う方向を見ていて、向き合ってなくて、だから近いでも遠いでもない。
みんなそれぞればらばらで、それぞれのホームシックを抱えている。
