本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

27.『しろがねの葉』(読書日記5「架空の人物との距離感」)

写真をやっていた時、担当教授に「被写体との距離がありどこか冷めている。あなたは人に対してもそうだけど」と言われたことがあり、バレてたのかと思ったことがある。

私は確かにそんなところがある。

 

それが現実にいる人だけではなく本の中の人に対してもそうなのだと、この間参加した読書会で気付かされた。

参加したのは千早茜『しろがねの葉』を課題本にした読書会。

 

齋藤明里×渡辺祐真「名作に親しむ読書会」5/15 1回 | 池袋コミュニティ・カレッジ

 

この小説は親と生き別れになったウメが銀山で働く喜兵衛に拾われ、そこで生き死ぬまでの物語だ。銀山が舞台なのでそこで働く男たちが何人もでてくる。みなそれぞれ個性や背負うものが違うとはいえ、銀山で生きるしかない男の抗えない宿命や、またその村で生きる女の使命が呼応するような好対照で描かれていたのが印象的だった。

 

江戸時代の銀山の話なのだが、その当時は職業選択の自由などないし、その村で生まれたらそこで生きそこで死ぬしかない。生まれた村が銀を掘ることで成り立っている村だったら銀堀になるしかない。銀堀というのは命懸けの仕事だ。山を掘っていくので当然崩れる危険があるし、ガスを吸って体が毒されていくこともある。寿命も短い。銀山の女は生涯で夫を3人持つと言われている。

男の仕事が銀堀ならば、女の仕事は子供を産み育てることだ。こちらも命懸けの重労働である。男が銀山で命懸けの仕事をして早々と死んでいってしまうので、女は命懸けで沢山子供を産んで銀山での働き手やその生活を支える人材を育てる。

「男は仕事をし女は家庭を守る」なんていう言葉は今なら偏見に満ちて聞こえるけど、江戸時代ではなかなか理に適い合理的で役割分担としても割と平等だったのでは思えたし、「女の仕事は子供を産むことだ」というのも時代背景などを考えると別にセクハラではなかったんだなというのもわかる。

しかし今は江戸時代ではない。様々な技術が発達して命懸けの仕事は減ってきたし、男だけにしかできない仕事も減ってきた。だけど出産という仕事は命懸けで女性にしかできないものということは変わらない。

銀を掘る技術の発達や安全性の向上に比べて、出産にまつわる技術や安全性は大して向上していない気がするけど、これはなんでだろう。これから発達して出産が命懸けじゃなくなる日は来るのだろうか。

江戸時代では世界や社会といえばせいぜい自分が生まれた村の範囲を示し、狭いものだったからこそ男の役割女の役割が分かれていてそれで上手く回っていったのかもしれないけど、世界や社会はどんどん広がり、仕事も生き方も多種多様になり選択肢も増え、一方で性別で分けられることは減り、だけど出産だけは女の役割でだからこそやっぱり性差というのはどうしても出てくる。これはもう生物学的な問題だからどうしようもないのかなぁ。

 

なんていうようなことを考えつつ読書会に向かった。

 

肝心の読書会ではどういう話がされたかというと、私が考えていたような話ではなく、『しろがねの葉』の男性キャラクターの誰が推しかという話、彼等の過去や背負うもの人生を人物像や台詞から読み解くことが中心だった。

 

私は元々師弟関係や主従関係が好きというのもあり、ウメの親代わりであり師匠でもある喜兵衛が推し。ウメに女として強かに生きる術を教える一方で、夜目がきくというウメの才能を活かし銀堀のことも教えた喜兵衛の推しポイントを話せたのも良かったけど、喜兵衛に付き従い喜兵衛の仕事がしやすくなるように裏で暗躍するヨキ推しの人の話を聞いているうちに、喜兵衛とヨキの主従関係もなかなか良いことにも気づき、楽しい読書会だった。

 

読書会には何回か参加したことがあるけど、これだけ登場人物の話しかしない読書会は初めてだ。他の人の、このキャラのこの台詞がどういう意味だとか、この人はきっとこういう人でだからこういう人生でという考えを聞いていると、私って小説の登場人物にあまり興味がないのかな、ここまで掘り下げたことないなと思い、そこで蘇ったのが、かつての担当教授に言われたあのコメントだ。

 

自分で「興味ないのかな?」と思ったけど、興味がないわけではない。逆に興味があるからこそ踏み込みすぎないようにしているところがある。どこまで踏み込んだらいいのかわからない、どこまでのラインなら嫌な思いをさせないのかわからない、だから距離がある。

実在する人間に対して、きっとこの人はこういう人でこういう人生でこういう価値観なんだろうと分析し型にはめていくのは失礼なことのように思う。だからその延長線で、つい癖で小説内の架空の人物にもそうしてしまうのかもしれない。

男の役割がどうとか女の役割がどうとか、世界や社会の抽象的な話ばかりしてしまうのもそのせいだ。

 

抽象的な話をするのもいいけど、それよりももっと手前にいる人間、登場人物のこともちゃんと見ていきたいし、考えて掘り下げていかなくては。そんなことを思わされた読書会だった。

実在する人間にしたら失礼で無粋で領域侵犯になるような勘繰りであっても、架空の人物でなら、実在の人物との付き合い方とは別にした上でなら、そうした勘繰りや考察はいくらだってしていいはずだし、それができるのが小説の醍醐味のはずだから。

そうしたらもっと小説を楽しめるようになるのかもしれない。

まだまだ私の読書には伸び代がある。

 

 

「いつまで経っても出産は命懸けだな」という感想を持ってしまったのは『しろがねの葉』を読む前に村田沙耶香『世界99』を読んでいたせいもある。この小説はディストピア小説で、出産を肩代わりしてくれるシステムがある。