本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

28.『平成共同幻想』

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grokにおすすめの本を聞いたら売ってもいないしそもそも存在もしない本を創作してすすめられたり、途中までしか邦訳されていないシリーズの邦訳されていない巻をすすめられたりして、「なんで読めない本をすすめるんだ!」とキレて若干喧嘩をしたことがある。

だから簡単に手に入れられない、読めない本の話をするのは多少心苦しいのだが、今日は先日の文フリで買った月岡ツキさんの『平成共同幻想』の話をしたい。

 

『平成共同幻想』は、平成5年生まれの著者が、怪盗セイント・テールモー娘。エンジェルブルーSWIMMERなど、目にするだけであの頃の感触が蘇るような綺羅星のような単語を散りばめつつ、平成の思い出を綴るエッセイ。

 

私は著者よりも年上だが、自分の世代よりもちょっと前やちょっと後の話を聞くのが好きだ。自分の世代よりもきらきらしていて、楽しげにみえる。

 

世代の話でいうと私はロスジェネとゆとりの間ぐらいで、この世代は何か特出したものがなく、〇〇世代というくくりがない。だからあまり連帯感といったものがないのでは?と思ったけど、時代や世代のせいだけではなく、それは私独自の距離感の問題もあるかもしれない。

 

私は子供の頃から体が弱く、あまり学校にも通えていなかったので教室の中のレアキャラ的な存在だったと思う。だから教室内で起こっていることに関しても「へぇ今はそういうのが流行ってるんだね」「今はこんな空気感なのか」と眺めているような、集団とはいつもある程度の距離がある傍観者的な存在だったと思う。

 

だから同世代が子供だった頃の空気感などを話していると、自分がその中には入れていなかったことが蘇ってきて居心地が悪いのかもしれない。同世代だからこそ同時代を生きていたからこそ、そこを通過していないという異質な存在になってしまう。自然と線が引かれて疎外感が出てきてしまうのかもしれない。

だから同世代との連帯感もない。

 

蚊帳の中の蚊帳の外よりも、完全に蚊帳の外の方が心理的安全性を感じるものだ。蚊帳の中にいると話についていこう、その場のノリに参加しなくては盛り上げなくてはならない、話に入っていないことがバレると気をつかわせてしまうから何か話さなきゃ、どこで私の話を挟もうなどと常に気を張っていなくてはならない。

その点、最初から蚊帳の外だと、純粋に傾聴の姿勢をとることができる。だからちょっと上の世代やちょっと下の世代の思い出話が居心地がいい。固有名詞はわかるし、その時代の空気感はなんとなくわかるから話についていけるけど、参加できなくても惨めではない。もともとその人たちの輪にはいないから、世代が違うから。そんな風に自分から線を引いて距離を取ることができる。だから楽しめる。

 

このエッセイもそんな楽しみ方ができた。自分は参加せず、安心安全な位置から他者の思い出話を摂取して楽しむというのはちょっと姑息でズルいような気がしないでもないけど。

 

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