本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

Log3 人生を変えるのは本の力か

6月12日(木)

『平安文学でわかる恋の法則』を読み始める。

平安時代一夫多妻制が成り立っていたのは、育児に夫のが参加する必要がなく、乳母とか侍従とかが生活をサポートしていたからなのでは。そう考えると夫というのはただの子種と金の持ち主ということになる…。いや今でも専業主婦の家庭もあるし、似たような状況の家庭もあるけど。

一夫多妻制で通い婚の平安時代の女の嘆きには、「よその家にばかり行って全然私のところに来ない!」というものがあるあるなイメージだけど、もっとドライで「お金をくれればあとは好きにしてくれ」的な女もいたのかもしれない。

生きていくには政治の中枢に子供を送り込んで安定的な地位を築くことが必要で、そのためには妻を幾人か持ち子沢山になる必要がある。それは妻側にも利益のある話で、政治の中枢に近づけば近づくほどよりお家は安泰。

だから一夫多妻制。

考えていると、家族神話やらロマンティックラブイデオロギーががらがらと音を立てて崩れていく。だから源氏物語というラブストーリーが流行したなんてこともあるのか。恋に恋するみたいなそんな側面もあったのかも。

自分が今いる時代の価値観から離れ、全く別時代のそれを知るのは面白い。

 

 

 

 

 

6月13日(金)

『平安文学でわかる恋の法則』を読み終える。

伊勢物語』の「芥河」や『ロミオとジュリエット』のように、男女が駆け落ちする物語にハッピーエンドがないのは、都会のルールを逸脱した人間が幸せになっては都合が悪いからという話が面白かった。それを踏まえてさらに面白かったのが、地方に残る話では、土地の支配者の祖先は都会から逃げてきた二人で、高貴な生まれだという形になっているということ。その方が血筋に箔がつくので都合がいいという話。

都会目線だと駆け落ちした二人は不幸になったほうが都合がいい。地方目線だと生き延びてこの土地に根付いてくれた方が都合がいい。

自分にとって都合がいい物語が残る。

 

6月14日(土)

昨日から読み始めた『学生との対話』を読み終える。

この本はまず小林秀雄の講義があって、その後に学生たちとの質疑応答も収録されてる二部構成になっている。

その質疑応答が始まる前に「良い質問をしてください」的なことを言っていて、なかなかのプレッシャーだ。

講義だけでなく、イベントやトークショーの後でも質問タイムがあるけど、質問をするのって難しい。話されたことをしっかりと咀嚼して、そこから発展させたり別角度から光を当てた質問が、良い質問なんだけど、頭が良くて回転も良くないとなかなかできるもんじゃない。

質問というのはわからないことがあるから聞くってことだけど、良い質問っていうのは、ただの質問よりも高次元のわからないことだ。

そういう質問をして、面白い話を引き出していたり会場をその場を盛り上げたりする人に憧れる。頭良くなりたい。

 

小林秀雄は講義を録音することを禁じていたけど、この本は参加者が密かに録音していたものを小林秀雄の死後、遺族の許可を取って文字起こしし出版したものだそう。

小林にバレたら逆鱗に触れるとか言いつつ、遺族の許可があるからって出しちゃうんだ。遺族の許可ってそんなに免罪符として有効なんだろうか。小林も「家族が言うならまぁいいか」ってなるんだろうか。私は家族に理解者が一人もいない人間なので、ほんとにそれで小林の意思を踏み躙ることにならないのかと気になる。

学生が書いた講義録を手直ししたものが生前に出版されているのに、生の声とやらにこだわって故人の意思に反して遺族の許可が出たからといって出しちゃうんだな。

 

 

 

 

6月15日(日)

昨日から読み始めた『ゴッホの手紙』を少し読む。

前にゴッホの評伝を読んだ時、ゴッホは弟のテオと仲が良くて色んな援助を受けていたんだけど、テオが結婚してからその仲の良さも援助も今までのようにはいかなくなり…という話が切なすぎて悲しくてやりきれなくなった思い出がある。

そうなんだよ。生まれ持った家族よりも、自分で作り上げた家族の方が大事になるし、大事にしなくてはいけないから、姥捨山じゃなくてもいつか家族に捨てられるようになるんだよ、と自分の家族を作れそうにない自分と重ね、私もどんどん優先順位が下がっていつか捨てられるかもしれないし、そういう覚悟を持ち一人強く生きねばと思ったものである。

 

ゴッホについての本を読むのはそれ以来。

その時の本よりも、ゴッホの手紙に焦点を当てていて引用も多いんだけど、その手紙を読んでると、ゴッホって若者が好きそうだなと思う。若者の未熟さや不器用さ熱い思い理想の高さを感じる。「若者が好きそう」ってことは、若者以外にはそんなに響かないってことで、それってどういうことなんだろう。成長なのか、それとも汚れちまった悲しみ的なものなのか。

太宰治とはちょっと方向性が違うけど、でもその若さ故の苦しみとか暗さ、若者が好きそう感はちょっと太宰治っぽい。

 

 

 

 

6月16日(月)

ゴッホの手紙』の続きを読む。辛くて頭に入ってこない。

 

6月17日(火)

本を読んで悩みが解決したとか、人生が好転したとか、そういうことが一切ない。これだけ本好きで沢山読んできているのに。ずっと苦しくて抜け出したいのに。

今抱えている気持ちを肯定してくれて、気持ちが軽くなったことはある。でも解決にはならなかった。

彩瀬まるさんの『あのひとは蜘蛛を潰せない』がそうだった。持て余すような感情、辛い気持ちを言葉でなぞって形を与えてくれて、それで救われたことはある。

彩瀬さんのサイン会に行った時、私と同じような人がいて、サインをもらいながら「あの本を読んで家を出て家族とも距離を置き、結婚して今は幸せです」と話している人がいて、妙な敗北感があった。

私の人生はそこまで変わらなかった。本はただのきっかけでその人の行動力が素晴らしいんだろうと思いつつ、私も行動してたけど頑張ったけど、何も変わらなかった変えられなかったなぁと思う。

 

本に人生を変えられたことなんてなくて、現状を肯定してもらえたか、現実を忘れさせてくれたかしかない。

その本も、今は辛くて読めなくて現実逃避もできない。