本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

33.『情事の終り』

海外文学に感じるハードルの高さは、宗教や哲学などなにかと抽象的で重い話や、政治社会問題など具体的で難しい話になりがちなところにあるんじゃないかと思う。

 

グレアム・グリーンの『情事の終り』は、男女感のごたごたという他人事としてゴシップ的に軽く楽しめるところから、思わず考え込んでしまう信仰の話にナチュラルに移っていって、そちらも興味深く読めるという、海外文学らしさがありつつもハードルを感じさせず楽しい本だった。

 

「昔不倫の末自分を振ってきた女が誰か他の男、夫ではない男と会ってるっぽい、一体誰なんだ」というところから話は始まる。

この不倫の末振られた男が主人公なのだが、この男が性格悪くてとてもいい。

 

妻の不倫に悩む善良な夫が、性格の悪い主人公の意地悪な目線で描写されててそれもまた良い。善良な人間と意地悪な人間の対比って意地悪な人間目線で描かれるとより際立つ。

 

この善良な夫は、昔妻と自分が不倫していた時は、気づかなかったのに、今度の妻の不倫には気づいているっていうところが、ニクイ展開だ。自分と不倫していた時と今度の不倫は何が違うのか、なぜ自分はあの時振られたのか、新たな不倫している相手は誰なのかという謎が深まり、夫よりも熱心に探り始める元不倫相手という、歪んだ構図、そしてその謎を追っていく過程がミステリーみたいで面白い。

 

そうしたエンタメめいた話の運びが、妻あるいは元不倫相手が信仰に目覚めるシーンからガラッと変わる。妻はもともと信心深い方ではなかったのだが、偶然なのか神の采配なのかわからないけれど、神の存在を信じざるを得ない出来事が起こって、そのシーンは鳥肌ものだった。

ものすごく絶妙なバランスで描写されているシーンで、偶然なのか?神の采配なのか?と迷うような微妙なラインで、だけどそこから信仰へいくまでの距離が近く、信じちゃう人は運命的に宿命的に神の存在を信じてしまうだろうなぁという名シーンだ。

 

日本人は無宗教だっていうけど、海外だって皆んなが皆んな信じてるわけではなくて、懐疑的な人もいる。

でも日本人のそれのように、危機的状況を前にすると「神さま!」って祈ってしまう。

なんだけどやっぱり、日本より信仰心がある人が多くて、そういう周りからの影響があるからか、日本より偶然と信仰の距離が近そう、ちょっとしたきっかけで神の存在を確信しそうだと思うけど、どうなんだろう。

 

日本人だと、何か神の存在を感じるような奇跡的な出来事があっても、日頃の私の行いがいいから「私のお陰」という解釈をつけそうだが、その日頃の行いを神が見ているからそのご褒美であり、そこには神の存在がある。

 

男女のゴタゴタを野次馬根性で前のめりになって読んでいたらいつのまにか、神の存在だとか信仰心だとか日本と海外の宗教観の違いについて考えていたという、翻弄のされ方がよかった。読み始めた時には予想していなかったところに連れていかれる、このテーマの遠近感というか遠景と近景が切り替わるダイナミックさがよかった。

でもこういうのって知らないで読むから面白いのであって、この小説の面白さをながながと書くというのはとても野暮なのかもしれない。