本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

35.『水辺のフリスビー』

なぞるように、私はこれからも生きていく。それがどれくらいの時間か分からない。これが、もっと前の自分だったら、よかった。叶えたい夢とか、一緒にいたい人とか思い浮かべることができた。そこに向かって努力しようと思えた。辛いことや手に入らないものもたくさんあったけど、何か形のない明るい先があって、そこへ向かって自分は歩いていくんだと思えた。いや、思ってもなかった。思う必要もないぐらい、当たり前にあった。それが時間というものだった。

 

諦められたら楽だとずっと思っていたけど、諦めてしまって夢も目指したい理想もなくなってしまったら、だらだらとした日常が続くだけで、重苦しくて怠い停滞と閉塞感があるだけで、それはそれで辛い。

楽じゃない。

 

新潮新人賞を受賞し、芥川賞にもノミネートされた『ダンス』でデビューした竹中優子さんの二作目、『水辺のフリスビー』がとても良かった。

仕事なし家族なし夢もなし、そんな中年女性の絶賛人生停滞期を描くこの小説が私には刺さりすぎた。

 

母子家庭で、母親はちょっとしんどい人で、その母親を看取りやっと解放され、自分の人生が始まると思ったら、心身の調子を崩しそれが原因で仕事をやめることになる。メンタルクリニックに行くと鬱病の診断がくだり、再就職を目指す前に就労移行支援センターに行くことを勧められる。

 

52歳という年齢が絶妙だ。走り続けてきてそろそろ疲れてきて、でも止まってしまうにはまだ早くて、だからって希望を持つには大分エネルギーがいる年齢。

その年齢設定の妙も刺さったし他にも、そこを書いてくれるんだ!という繊細で微妙なライン、何気ないシーンを書いてくれていたのにも震えた。

 

割り切れないし割り切らないしどっちつかずで心許無くてどこにも辿り着いてない感じとか。好きじゃない相手だからこそ我を通せたり、行動できた自分が新鮮で満足して結果はどうでもよくて責任とか取らない身勝手さだったり、楽しかったことと落ち込んだことを交互に思い出す帰り道だったり、泣きそうになる時の喉奥の感覚、怒りが醸成される胸。
そういうものをひとつひとつ書いてくれることが嬉しかった。

 

あと、主人公と重ねられている水辺のフリスビーと、センターで知り合った人たちとやった卓球のスマッシュの対比がよかった。

誰にも受け取られず思ってもなかった所、誰にも見つけてもらえない暗がりに落ちたフリスビーと、誰かが打ち返してくてたけど打ち返すことができなかった鮮烈なスマッシュ。

フリスビーでも卓球でもどちらも受け止めて打ち返してもらえないのは共通してる。

この対比が何を表しているのかわからないけど、この対比構造が好きだし、主人公がスマッシュをの受けた時の感覚、その鮮烈さがよくわかる。

 

こんなふうに、小説ならではのシーンがあったり、隠された構造に気づくとその作品のことを好きになってしまう。

 

 

 

この作品は新潮6月号に掲載されたもので、まだ単行本発売情報が出ていません…。