本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

36.『晴れ姿の言葉たち』

拝啓 渡辺祐真さま

 

突然のお手数失礼いたします。

スケザネさまと宮田愛萌さまの往復書簡『晴れ姿の言葉たち』を読ませて頂きました。読んだらとても手紙が書きたくなったのでこうして、書かせて頂いています。

スケザネさまはこの手紙を読むことはないかもしれませんが、この本を読んで私の中に去来したものを手紙という形で書きたいのです。それが一番自然な形だと思うのです。

 

といってもブログを公開するということは全世界に公開するということで、その世界の中には当然スケザネさまも居らっしゃるので、これを読む可能性もあり、少し緊張するような冷や汗が出るような、届いたら嬉しいような恥ずかしいようなこの辺りですぐに読むのをやめてほしいような、複雑な気持ちがしています。

 

 

私はスケザネさまのそこそこ古参であることを自認しており、書評系YouTuberとしての活躍もそれと同時にシナリオライターであることも、その職業を辞し専業になられたことも、いつしかはなまるおばけ推し(サンリオキャラクター大賞12位おめでとうございます)になられたことも知ってはおりましたが、YouTuberとしてデビューされる遥か前の幼少期のこと(西武線!)や、人前に出ることで刺激されるコンプレックスのこと、専業となった後に訪れた仕事イヤイヤ期のことなど、知らないことばかりでした。

それらは全て愛萌さまに宛てられた手紙の中で書かれていたことですので、これを私が読ませてもらってもいいのだろうかとも思いましたが、「晴れ姿の言葉たち」と書いてくれたので、赤裸々な内容ではありつつも、装ってくれている、読者に開かれた読者に向けた言葉でもあるのだろうと納得して、読ませて頂きました。

 

お手紙の中で、書く仕事は隠し事で、書くこと書かないことを選別する作業が書くということでもあると書かれていましたが、そんな風に選別し隠してくれていることがわかるから、着飾って綺麗なところだけ見せてくれるから、安心して同じ空間にいられる、そんなズルいところが私にはあるのでしょう。

それは、自分が人間だとばれたくない愛萌さまとは逆で、相手の生々しい人間らしいところを見たくないのかもしれない、相手に着ぐるみを着ていて欲しいということかもしれません。

 

そんな姿勢はアイドルや推しといったものに対しても通じる所があります。

私はアイドルが好き、推しがいるというよりも、アイドルが好きな人推しがいる人が好きです。ファンがアイドルに向けた思いや推しを推す姿が好きです。喜びも悲しみも苦しみも、側から見たらとても美しいものに見えてとてもキラキラしてるから。

「人は人を愛したいのだ」とスケザネさまは書かれていましたが、それでいうと私は人が人を愛する様をみていたいのです。愛されたいとか愛したいの二択ではなく、第三の勢力「人が人を愛する様を見たい」です。人が愛し愛される様をちょっと離れたところから見ていたいのです。

 

だからスケザネさまがはなまるおばけを愛でている様もいつも楽しく拝見しており、街中ではなまるおばけを見るとスケザネさまの顔が浮かぶようになりました。(実は水沢なおさんの「こんこん」を読んだ時にもスケザネさまの顔が浮かびました。機会があれば読んでみて欲しいです。でもこれをスケザネさまに勧めるのは無粋なことかもしれません。もちろんもう読んでる可能性も大ですね)

 

また、スケザネさまが愛萌さまへ向けた質問で「自分だけは覚えていられるけど、他の人はみんな忘れて欲しいことはなにか」というものがありましたね。私だったらなんて答えるかな、と考えたところ、それは「恋やら愛」でした。

どの小説にかは忘れましたが、「人が初めて恋をする時、どうしてそれが恋だとわかるのだろう」というような一節がありました。私はその疑問を過激に解決してみたい。この世界から恋や愛という概念を消し、観察者としてそれらの発生を眺めてみたい。

私は一人、旧時代の恋やら愛を知ってる人間として、その中に入らず全くの他者として観察していたい。ハイゼルベルクの不確定原理のように自分を介在させてしまうとその現象は変わってしまうから、できれば天上から眺めたい。

恋や愛を人間はどうやって発見したのか。一度消したら、今度はどんな風に名付けるのか。恋は恋だけでなく、愛は愛だけでなく、もっと多種多様に分類されるかもしれない。などと考えるとわくわくしてしまいます。

 

そんな風に私は誰とも関わることなく、美しい人と人との関わりを見ていたいというズルいことばかり考えています。ですからスケザネさんと愛萌さまの往復書簡、言葉のドッチボールを見るのも至福の時間でした。しかしこうして手紙を書きたくなって長々と書いています。こんな風に書いていると、私はドッチボールの観客ではなく、参加者になりたいのか…?と疑念が湧いてきます。

 

そしてやがて、私もドッチボールがしてみたい、例えボールを受け止めてもらえなくても、意図とは違ったボールが帰ってきても、それを楽しめる、いやそれこそを楽しめるような人間になりたい。そう思うようになったのです。

場と個人の話もありましたが、私は私をそうした場に投げ入れてみたい、そして個人と向き合ってみたいと思ったのです。

 

 

思えば、私が長年本の感想やらなんやらをブログを書いてきたのも、ひょっとしたらそんな願望があったのかもしれません。このブログ自体が誰かに向けた手紙なのかもしれません。だけど、この重さややこしさ屈折が盛り込まれた手紙を受け止め返してくれる人、言葉の数々を返してくれる人がいるとは到底思えません。そんなことがあればそれは奇跡です。でも奇跡とわかった上でそんなことがあったらいいなぁ、スケザネさまと愛萌さまのような二人に誰かとなることはほとんど奇跡だけど、その奇跡に手を伸ばして疲れてみたりしたいなぁと思う様になりました。

 

そんなお二人の奇跡の中に、今日は手紙の程をなした感想とはいえ、割入りお邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした。

 

暑さの厳しさが増していくばかりですが(私も尋常じゃない汗っかきです)どうぞくれぐれもお身体に気をつけて。すこしでも長生きして末長く面白い本を紹介してくだされば幸いです。

 

愛萌さん小川公代さんとのイベント参加前夜に。

 

さや 敬具