本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

37.『ありか』

「でも、私、ひどいことをされたわけでもないし、こうやって育ててもらってきたんだよ」

母は言葉はきついし、私が意見を言ったり、反論したりすることを許さなかった。感情的で他人に厳しい人ではある。だけど、暴力を振るわれたこともなければ、育てることを放棄されたこともない、母が必死で生きてきたのもわかっている。

 

瀬尾まいこ『ありか』は、親ガチャでハズレを引いた人が、義弟ガチャ義母ガチャママ友ガチャ同僚ガチャで当たりを引いて、その人たちの温かい支えや励ましのお陰で毒母と距離をおけるようになるまでの話だった。

 

こんな風に簡単にまとめてしまうことに若干の申し訳なさはあるが、でもこれは簡単な話なのだ。この小説のように、こんな簡単に人は人に恵まれないのだから。

 

主人公は、子供の頃から母親のプレッシャーを感じて育ち、常に母親のご機嫌を伺うような幼少期を過ごした。大人になって結婚したけど、夫の度重なる浮気に耐えられず離婚してシングルマザーになる。生来の家族という母親、自分で選んだ家族という夫には恵まれなかったけど、生まれ持ったものでなく選んだものでもない人には恵まれている。

 

週に1回夕飯を作りにきてくれる義弟がいるし、子育ての悩みを相談できて気配りが素晴らしいママ友がいるし、察しが良くてピンチの時に料理を作ってきてくれるようなこちらも気配りが素晴らしい同僚がいる。そんなことは滅多にないことなのに、この小説ではそれがいとも簡単に叶う。

いや私が人に恵まれてないだけで、現実にはこうした良い人がたくさんいて、そんな人に取り囲まれてる人がいるのかもしれない。だけど私には夢物語だ。ドリームだ。

 

しかし主人公が親ガチャでハズレを引いてしまったということ、その苦しい幼少期からの大人になっても引きずる苦しくて割り切れない感情は私にとってとてもリアルだった。

 

子供の頃から母親の圧を感じて育ち、常に親に気を使い機嫌を伺い、大人になっても「育ててやったのに」と圧をかけられ、度々家に愚痴やらなんやら聞いていて楽しくない話をしにくる。こちらの都合や状況などお構いなしに押しかけてくる。挙げ句の果てに金の無心を始める。「実の親を助けられないなんて聞いたことがないよ」という台詞と共に。

 

会ってない時には、「あんなこと言われるかも」「こんなことされるかも」と色々とプレッシャーを感じるけど、会うとそれは杞憂で意外と平気だった、という小説内の展開は手に取るようにわかる。

でも会わない間に、色んなことを考えて苦しくなり過呼吸を起こしそうになるのは、会っている間にたくさん傷つけられてきたから、その経験の積み重ねがあるからだ。会っている時にはその傷には気づかないけど、確かに心は傷ついている。

 

そんな風に家族の前では平気になってしまう人や、「暴力はふるわれてない」「育ててもらった」「もっと酷い親もいる」というヴェールに包まれていて、自分の親が毒親だと自覚できない人にはこの小説が大切な気づきになるかもしれない。私も同じような時があったから、その時に読んでいたら号泣してたかもしれない。彩瀬まるの『あのひとは蜘蛛を潰せない』を読んだ時のように。

だから自覚がないまま苦しい思いを抱えている人に、気付きを与えてその苦しみを俯瞰でみせて、そこから、苦しみから離れる一助にはなるだろう。

 

しかしその苦しみに気づいてくれる、義弟や同僚というのが私にはどうにもファンタジーにしか感じられなかった。

家族に会うということのプレッシャーから、義弟や同僚の前で顔色が悪くなって、それに気付いてもらえて、心配してもらえたり労ってもらえたりする。というシーンも、いかにもありそうではある。本当の家族じゃこうはいかない。その人の前では平気になってしまうのだから。しかしそんな風に労わってくれる義弟や同僚という存在はファンタジーだ。そんな人たち現実にはいない。

 

こういう、人に恵まれて人が人に救われる癒し系小説は、私にはどうにも現実離れしていて、どう咀嚼したらいいのかわからない。

主人公に感情移入して、擬似体験的にでも癒されたからそれでいいってことなのか。

私はこの小説の中の義弟や義母やママ友、同僚みたいな素敵な人に恵まれなかったし、これからも恵まれることはないと思うけど、小説の中には存在した。

それで満足できるものなのか。

 

こんな素敵な人には恵まれないだろうけど、彼らの気配りや距離感に学ぶべきところが沢山ある。だから私が救われることはなくても、小説を通して人の優しさやケアの仕方を学び、私が素敵な人になって義理の家族や同僚に「人に恵まれた」と思われそうだ。それでいいのか。

それでいいのかもなにもそれしかない。それしかないからそれしかないんだけど、ほんとにそれしかないのかよと思ってしまう。

 

私は誰にも救われないまま誰かを救う人になるのか。

人を救える人になれるのは良いことだし、そうありたいとも思う。でも人に救われないまま人を救う、そのあり方はどこか歪でいつか破綻が来そうで怖い。

 

人生って結局、自己責任かガチャしかないのだろうか。

自力で頑張ってどうにかする自己責任論と運が良ければ人に恵まれるガチャのどちらかしかないのか。

人に恵まれるように自分の人柄を磨いたり場所を変えたりすることも結局自分の頑張りで自己責任論なのでは。

 

多くの人にとっては癒し系小説であろうこの小説は、私にとっては決して癒されえない現実を見せられるものだった。

 

ありか

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