須磨
天皇に仕える尚侍であり、政敵右大臣の娘である朧月夜との関係がばれた光源氏。
このままでは大きなお咎めを受ける可能性があるので、その前に自ら須磨に引っ込むことにする。
「須磨に行くことになりました」ということを今まで関係のあった女たちや、亡き妻葵の上の父左大臣に伝えまわる。
みんなそれを聞いて涙涙。単に光源氏との別れが悲しいというのもあるけど、他の女との関係が原因で遠くに行き、この後の庇護はどうなるという不安もあるのだろうか。光源氏って色んな女と逢瀬を重ねているけど、そうして関係を持った女の面倒はちゃんと見るから、色んな女のスポンサーでもある。そのスポンサーが失脚して再起可能なのかどうかもわからない。これは不安だ。
その点、左大臣の悲しみは純粋なものだろう。亡き娘の夫が政敵右大臣の娘と関係して、腹立たしい気持ちがあってもよさそうなのに、全然そんな風にみえない。左大臣にとって光源氏はスポンサーというわけでもないから、今後の生活の不安で悲しんでいるわけでもない。
巻一巻二の随所でも感じられたけど、左大臣はかなりの光源氏好き。
須磨に移った後も、光源氏は女たちと手紙のやりとりをして、別れたはずの六条御息所にも手紙をだしている。
結構ずるずると悲しみを引きづっている感じがでてきたあたりで、朧月夜の姉で光源氏を敵視している弘徽殿の女御が、こう言う。
「朝庭の勘気を蒙った者は、思いのままに日々の食物を味わうことさえ許されないはずです。それなのにあの人は風流な家に住まったり、世間をそしったりしているとは。それをまた、あの鹿を馬だと言って機嫌をとった人がよこしまなのと同じように、源氏の君に追従する者さえいるのです」
ちょっとすっきり。弘徽殿の女御は光源氏という主人公の敵で悪役なのかもしれないけど、読者が光源氏に感じるもやもやをスパッと代弁してくれる。読者の味方でもある。
光源氏に嫉妬し敵対する人間ではあるけど、一番まともで常識人なのかもしれない。
明石
前帖で須磨に移った光源氏。そこへ激しい雨風、雷が襲う。この帖は、その嵐が収まり始めたところから始まる。
嵐の襲来に張っていた気も緩み、疲れがでて眠った光源氏の夢枕に亡き父の桐壺院が立つ。
これまで何年もの間、夢の中でさえお逢いすることも出来ず、恋しく、気がかりで、お目にかかりたく思っていたお姿を、はかない夢の中ではあっても、ありありと拝見したことだけが、くっきり心にお残りになっているようで、自分がこんなふうに悲しみの極みに逢い、まさに命を失おうとしたのを、空を飛びかけて、助けに来て下さったのだと思うと、しみじみありがたく思われます。
光源氏ってこんなにお父さんのこと好きだったんだ…。幼い頃に母を亡くして、似た面影を持つという藤壺にぞっこんなところから、マザコンなんだなというイメージはあったけど、父親のことも意外と好きだったんですね。
そう考えると、光源氏と両親の関係って興味深い。幼い頃に母を亡くしているけど、父親との関係もそんなに近しいものではなかったのではないか。男親だし帝だし、そんなに密接な関係を親とは築けず、愛情を注いでくれて信頼関係を築ける大人が幼少期にいたかどうかは、人格形成やその後の人生に大きな影響がある。
毒親を持つ人は他人との距離感がうまく掴めず、近すぎて失敗するというし、光源氏も案外そんなところに理由があって、色んな女と関係を築いたのかもしれない。というのは考えすぎだろうか。
この帖は明石の君と光源氏が初めて会う帖でもある。
明石の君は父親である明石の入道にみっちりと教育を受けているので教養深い女性ではあるが、田舎の生まれ育ちであることをコンプレックスに思っている。だから光源氏に言い寄られても、「私なんて田舎者だし」「都会にはもっと素敵な女性が沢山いるし」等々、なかなか卑屈だ。
しかし卑屈故に拒んでいるのに、それが光源氏には気位が高いから拒んでいるようにみえるらしい。
「何とまあ、ひどく上品ぶって気どっていることよ。もっと近づきがたい高貴な身分の人たちでも、ここまで近づいて言い寄れば、気強く拒みきれないのが普通だったのに、自分が今、こんなに零落しているので、侮っているのだろうか」
違う。違うんだ光源氏よ。それは明石の君のプライドではなく、卑屈なんだ。
光源氏の前ではどんな高貴でプライド高い姫君でも落ちるのに、それに打ち勝つ卑屈な明石の君。卑屈はプライドより強い。プライドに勝つ。
しかし、卑屈もある意味ではプライドなのかもしれない。
これがなんの考えもなしに光源氏と付き合いを初めて「やっぱり田舎者は物足りないな」とでも言われたらどうだろう。田舎者のプライドはずたずたである。立ち直れないかもしれない。だからこそ、明石の君は「私は田舎者だから」と卑屈さで防御するのだ。
これ以上は傷つきたくないという気持ちから生まれ、なけなしの最低限の誇りを守るための最後の砦が卑屈なんだ。
光源氏と明石の君の攻防を見ているとそう思えてくる。
澪標
明石の君に光源氏との娘が生まれて、光源氏は乳母にちょうどいい女を見つけて、「明石に行ってくれない?」というんだけど、その女のことをだんだん気に入ってきて、「明石にやるのが惜しくなっちゃったなぁ。むしろ俺が明石に追いかけていこうかな」なんてな風に言い寄る。しかしその女は「そんなこと言って、明石の君のところに行きたいだけでしょ」とあしらう。
こんな風に光源氏が女に言い寄って「ご冗談を」とあしらわれるのは何度も繰り返されてきたことで、その度に軽薄だなぁと思っていたんだけど、これって本気で言ってるわけじゃなくてボケとツッコミに分かれた漫才なのでは
?と気づいた。
漫才で言葉遊びで、そこに知る人ぞ知る和歌をもじったものを混ぜると教養をアピールできるみたいな。そしてその教養アピールとか男あしらいの上手さによっては遊びが本気になっていくみたいなことなんじゃないか。
光源氏が住吉大社にお礼参りに来たところに明石の君が行き合わせてしまう。でも光源氏たちの列は壮麗で、遠目から見ていた明石の君はその身分差を改めて痛感し、引き返してしまう。
光源氏の眼中になかったら、遠目から見ていても「かっこいいなぁ」ですんでたかもしれないけど眼中に入ってしまって、光源氏の寵愛ランキングにランクインしてしまったら、その中でランクが低いのでは?と惨めになったりするかもしれないなぁ、なんてことを思う。
明石の君はそんなことは考えてなくて、ただ光源氏との身分差を感じているのかもしれないけど、でも他の姫君が目に入ってしまうところに行ったらますます身分差を感じるから、そのまま明石にいたほうがいいよ、なんてことも思うけど、そうもいかないのも知っている。
明石の君は後に紫の上と仲良しな雰囲気になるけど、それって光源氏にとってどんな気分になるもんなんだろう。自分が目をかけた女同士が仲が良いって、なんかこう男の夢とか勲章みたいなもんなんだろうか。
でもこの澪標の章では、明石の君に嫉妬する紫の上をかわいいと思ってたり、花散里が「めったにお逢いできなくて悲しい」と言うのを可憐だと思ってたりするから、光源氏は自分のせいで女が不幸な目に合うのが好きなのでは?とも思う。
でもこの可愛いとか可憐だと思ってるのは、光源氏が思ってることなのか、地の文つまり紫式部の描写なのかがいまいちわからない…。
他にも桐壺更衣が体調悪そうなのが魅力的だとか、藤壺が体調悪そうなのが魅力的だと描写されているのもある。桐壺更衣が体調悪そうなのに魅力を感じているのは桐壺帝で、藤壺は光源氏で、だから親子揃って女が具合悪そうにしてるのが魅力的にみえるんだな、と思ってたけど、もしかして紫式部が女の不幸に魅力を感じるタイプの人間なのか。
蓬生
末摘花はその歌の下手くそさを光源氏にいじられるっていうシーンがあるけど、この帖で詠われる歌は割といいのでは?幼い頃から支えてくれてた侍従との別れの歌や、亡き父が夢に出てきた時の歌や、光源氏が久しぶりに訪ってくれた時に歌ったちょっと拗ねた歌。どれもいいような気がする。
最初はそんな気もなかったのに、この後どんどん光源氏のことを好きになってしまって、どんどん語彙力がなくなっていってしまったとかなのだろうか。
いや「からころもからころも」ばかり歌っているのをいじられるのははこの後だったか前だったか。
侍従が1番悲しい。
他に末摘花に支えていた人は、そんなに心を込めて支えていたわけではないから、末摘花が困窮したらあっさり離れて、また光源氏に面倒を見てもらえるようになったら、「元いた職場の方が楽だったな、戻ろう」って感じであっさり戻ってくる。
でも侍従はずっと心を込めて支えていて、困窮した時も最後の方までずっといて、でもどうしようもなくなって泣く泣く離れた。離れたことを裏切ったかのように捉えていて、だから末摘花がまともな生活を取り戻してもあっさり戻れない。
関屋
須磨から帰ってきて、色んな女性と再会のシーンを描いた後に、須磨から京に帰ってくるまっでの間に実はこんなことがあったんですよ空蝉と再会してたんですよ、とボーナストラック的に挟む感じがニクイ演出。
私はこの関屋の帖がさらっとしてて結構好きだ。逢坂の関でたまたますれ違ったっていう状況だからさらっとしてしまうのは必然なんだけど、このあっさりさらっとがいい。
帖の終わりの方で、夫を亡くした空蝉が義理の息子に言い寄られて思い悩んで出家する。それを義理の息子が「まだ若いのに勿体無い」的なことをいうのだけど、それを世間は「余計なお節介」だと噂した、というのがとてもいい。
その世間っていうのは大方女性だろう。こういうところからでも紫式部は女性の味方なんだなと思わされる。
絵合
右チームと左チームに分かれて絵を見せ合い優劣を競うゲームの最後の最後に須磨に流された時自分で描いた絵を見せてくる光源氏があざとい。光源氏の境遇やら苦労やらを知っている人間はそんなものを見せられたら、ぐうの音もでない。
それが終わったあとに、ゲームに使った絵を藤壺にあげて、他の絵も見たがる藤壺に「それはまた追い追い」という光源氏もあざとい。毎夜毎夜面白い話をして、「明日はもっと面白い話をします」というシェヘラザードみたい。
松風
都から遠く離れた明石に住んでいた、明石の君が都に引っ越し、三年ぶりに光源氏と再会する帖。
明石の君は母親の尼君と引っ越すことになるんだけど、父親の明石の入道はひとり明石に残ることになる。
明石の君が高貴な人にみそめられて上流階級の仲間入りすることは入道の大願なので、光源氏の住む都に孫の姫君と共に引っ越すのは本望なんだけど、明石の君は父親一人を明石に残していくのが心配で思い乱れるというのが切ない。
入道も明石の君との別れの時に、「今日は永久の別れを申し上げます。わたしがもし死んだという噂をお聞きになりましても、死後の法要など行って下さらぬように。逃れられない親子の死別などにお心を乱してくださいますな」と言うけど、「やがてこの身が火葬場の煙となる夕べまでは、姫君の御将来の御幸運を、六時の勤行の時にも、やはり未練がましく加えてお祈りすることでしょう」とさっき言ったことと矛盾してることを言うのも泣ける。
入道だけあって、明石の君の父は仏門に入っていて、愛別離苦を乗り越えることは仏教の修行でもあることは知っているはず。だからこそ、娘には自分との別れは乗り越えろ死んでも気にするなというけど、僧侶であるはずの自分は娘との別れは乗り越えず未練がましく祈り続けるというこの矛盾。僧侶がいうからこそこの矛盾が際立つというニクい演出だ。
