本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

43.『ムーミンパパ海へいく』

ムーミンパパ海へいく』を読んだ。ムーミンシリーズ最後から2番目の作品で、シリーズでムーミン一家が出てくる最後の作品だ。最後の最後でムーミンパパの印象がガラリと変わってしまった。良くない方に。

 

平和なムーミン谷でやることがなくなったパパは、灯台のある孤島に家族全員で移り住むことにする。

まずこの時点で家族からすると良い迷惑。

なぜパパはムーミン谷の平和に耐えられないのかというと、それは家長らしさ男らしさというものが平和な世界では発揮しずらいからではないか。

困難な状況の中で家族を守るだとか、家族をまとめ上げて家族の平和のために戦うというのが、家長の役割であり男の仕事だとか思っていて、平和が達成された今では、その役割や仕事がなくなり、手持ち無沙汰になってしまっている。平和はムーミンパパにとってのアイデンティティクライシスなのだ。

 

絶海の孤島に移り住み、そこで家族を守り暮らすという責務を得たムーミンパパは良くない男らしさ、良くない家父長らしさをどんどん発揮し始める。

 

どうやらパパは家族のために肉体労働をすることこそが男らしい家長の在り方だと思っていて、その仕事に悦を感じているようだ。

例えば食料の調達のために網をしかけるとか。

 

網をしかけるのは、とても楽しい感じでした。それは男らしく心のおちつく仕事で、しかも家族のためにする仕事なんです。

 

例えば暖を取るためにたき木を集める仕事とか。しかしこれはムーミンママが先にやっていたのを制してやろうとしてママに怒られる。

 

はじめのうちは、ムーミンパパはおどろいて、自分でたきぎ集めをひきうけようとしました。ところが、ムーミンママはおこっていいました。

「これはわたしの仕事よ。わたしだって遊びたいわ」

 

ママが怒るのは当然の話で、ママはパパの良くない家父長らしさの一番の被害者なのだ。

まず、ムーミン谷から孤島への引っ越しで、パパはママに荷物を持たせない。でも花だけは持たせる。荷物を代わりに持つということは優しさに見えもするけど、ママから仕事を奪う、自分でできることすらもさせない、ということは自主性を奪うということ、行動力を奪うということだ。そのくせ、女性に「花」という愛でるだけのもの、お飾りを持つことだけは任せるというのもいただけない。

 

ママはホームシックになり、家の壁に絵を描き始める。絵を描くという行為は自分の内面と向き合う行為で、ママはそれに没頭するうちに絵の中に入り込んでしまう。外での仕事を奪われ、花を渡されお飾りでいることを押しつけられ、そうこうしている内に自分で描いた絵、内面世界と一体化し外界を遮断してしまうというのは読んでいて胸が痛くなる。しかしそれでは終わらない。さらに胸を痛くさせるのは、ママが行方不明になって探し回るムーミン一家だったが、外を探し終わり家に帰るとそこにはママが戻ってきていて、そのママにパパが言った言葉だ。

 

「しかし、おまえ、わしたちをこんなにまでおどろかすのは、よくないね。わしたちが夕がた家に帰ってくると、おまえはいつもここにいるしこういうきまりになっているんだ。それをよくおぼえていなさい」

 

ひ、酷い。ママのことをママの心情を何も理解していない。家出して帰って来た妻にいうセリフじゃない。

 

どうやらパパの中には家長としての役割、妻としての役割、きまり等がしっかりあり、それを家族に押しつけて、自分の思うようにコントロールしたい願望があるようだ。

 

すべてを自分のコントロール下に置きたいという願望は家族に対してだけではなく、海に対してもそうなよう。

 

海はちっとも規則にしたがわないのだという、もやもやとした考えが、またもどってきました。それで、急いでその考えをうちけし、海の不可思議さをつきとめて、解決してやろうと決心しました。そうすれば、パパは海がすきになれ、自尊心をたもつこともできるでしょうからね。

 

規則(自分)に従わない海の不可思議を解決することで初めて海のことを好きになれる、自分のコントロール下に置くことではじめて自尊心を保つことができ、海のことを好きになれると思うパパ。

 

「じゃあ、わしは理解する必要がないぞ!海ってやつは、すこしたちがわるいよ」

 

だけどやっぱり海を制御することは不可能で、自分の支配下におけないものはたちが悪く理解する必要がない!と切り捨てるパパ。どちらが立ち悪いのか…。

 

巻末の訳者解説によると、

この本で、ヤンソンさんは、ムーミンパパをとおして、ヨーロッパ的なおとうさんというものの心の中をえがきだしています。だから、「おとうさんというものにささげる」と最初にことわっているのです。

ということだそう。

 

ここでいう「おとうさんというもの」はヤンソンの父であり、世代的には戦争を経験し従軍した男性がモデルなのではないか。ならばその良くない男性らしさや家父長らしさは、一種の戦争後遺症のようなものだったのではないか。

困難に果敢に取り組む男らしさや集団を統率する家父長らしさが称揚され、必要になるのは戦時下ならではのものだし、集団を制御しコントロール下に置かなかれば安心できない、自尊心を保てないというのも、命がかかった戦争を経験したお父さんならではの感覚ではないだろうか。

 

ムーミンパパは海を制御することができず、海との戦いにも負けてしまう。しかし負けた末に大事な気持ちに気付く。パパはずっと前から海のことが好きだったのだ。それを制御できなくても負けても好きだった。

 

「そら、海はときにはきげんがよく、ときにはきげんがわるいが、それがどうしてなのか、だれにもわからないだろ。わしたちには、水の表面だけしか見えないからね。

ところがもし、わしたちが海をすきなら、そんなことはどうでもよくなるんだ。あばたもえくぼってわけさ……」

「じゃ、パパは、いまは海がすきなんだね」と、ムーミントロールはおずおずとききました。

「わしはいつだって海がすきだったよ」

 

パパは制御下に置いて初めて好きになると思っていたけど、もともと海のことは好きで、その好きという気持ちに気づいて初めて、制御できない姿と向き合うことができ、その姿さえも好きになれることに気付いたのだ。

 

この作品はムーミンシリーズの中でムーミン一家が出てくる最後の作品なので、パパがこれからどうなるのかはわからない。

大切な家族への思いに気付いて、これからは良くない男性らしさ良くない家父長的行動や言動が減っていくのだろうか。家族を制御下に置くのを諦め、理解不能な家族をそのまま愛していくのだろうか。

 

染みついたものはそうそう簡単には変わらないけど、ママはちゃんと戦っているし、それがちゃんと報われて欲しい。パパ自身にとっても家父長らしさ男性らしさから解き放たれた方が、もっと自由に生きられるはずだ。