本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

Log6 内なる偏見とか無理解による蔑視とか。

某月某日

ヘルシンキ生活の練習』を読む。

ヘルシンキでの子育てが私に関係あるかな、子供がいない私が読んでも惨めになるだけなのではと思ったけどとりあえず読む。そして、私の中には「子を産み育てる人のほうがそうでない人より優良」という偏見があることに気付く。

そうでなければ、「惨めになるかも」なんて思わないはずだ。

 

日本とフィンランドの子育てに関する文化や考え方の違いが面白い。

子育てはしていないし、これからもすることはないだろうけど、自分育てはたぶん死ぬまで続く。その参考になった。

「練習が足りてるところ」と「練習が足りてないところ」があるだけで、資質とか才能ではないという考えに気持ちが軽くなる。

練習していこう。

 

 

 

 

某月某日

『四維街一号に住む五人』を読む。

面白かった!キャラクターがいきいきしているのがいい。台詞のみでどのキャラクターが喋っているのかわかるぐらい、それぞれの個性が光っている。

エンタメの中に台湾っていう国の複雑さもしっかり入っていて硬軟の合わせ技が巧みだった。

しかし台湾も韓国もちゃんと文学が政治と向き合っているのに、それに比べて日本は。

 

 

 

 

某月某日

『銀座缶詰』を読む。

やっぱりやっぱり益田ミリさんのエッセイが好き。

するすると読める。浸透圧が同じだかなんだかで体にすーーっと染み込む清涼飲料水みたいな文章。

だけどピリッとざらっとすることもある。それはミリさんのピリッとざらっとした体験を私もした事があるからだ。そうやって自分と他者を重ね合わせることができて嬉しい。

 

嫌な感じの接客をする店員に何か言ってやればよかったと思って、次の機会にはちゃんと言ってみたり、若者に気を遣わせないように気を遣う年齢になってきて試行錯誤したり。

わかる。わかるよ。好き。

 

 

 

 

某月某日

『台湾文学の中心にあるもの』を読む。

先日読んだ『四維街一号に住む五人』を読んでから台湾熱が高まっていて。

『四維街〜』を読んで感じた、日本の文学は政治と向き合っていない問題に冒頭から触れていてありがたい。

そしてまた『四維街〜』でも描かれていたけれど、一口に台湾といっても、その成り立ちはやっぱり非常に複雑だ。その複雑さを詳しく説明してくれている。

新日の時があったり親中の時があったり、周辺国の政治に巻き込まれてきて、色々なルーツを持つ人々が様々な言語を話していて、簡単に台湾人と一括りするのにも憚りができる。

 

家の近くにあったセブンイレブンに中国訛りの日本語を話す店員さんがいて、そのセブンイレブンは潰れてしまったのだけど、今度は近くのファミマで働いていた。

散歩がてらちょっと離れたファミマでチケット発券に行った時もその人がレジにいてびっくりした。聞くところによると、その人は近くにある中華料理店でも働いているらしい。

私はずっとその人のことを「中国の人」と思っていたけど、この本を読んでいてそれも怪しいなと思った。

中国の人かもしれないし香港の人かもしれないし台湾の人かもしれない。私は中国のことも香港のことも台湾のことも碌に知らない。

その人のことを中国人だと思っていることを誰にも話したことはないけど、そんな自分がちょっと恥ずかしかった。自分の無知と内なる差別意識に気付かされ恥ずかしかった。

 

 

 

 

某月某日

ゴッホの手紙』を読む。

ゴッホが耳を切り落とした後、包帯をぐるぐる巻きにして自画像を描いたというやつ、あれは一体どんな気持ちだったのだと思い続けていた。ナルシストなのか?厨二病的な美意識なのか?とイマイチ理解できなかったんだけど、その謎が解けた。

 

「愚痴を言わずに、苦しむ事を学び、病苦を厭わず、これを直視する事を学ぶのは、眼もくらむばかりの危険を冒すのと全く同じ事である」と彼は書いている。彼の言うところに誇張はなかったでしょう。この追いつめられた人間の、強烈な自己意識が、彼の仕事の動機のうちにあるのです。それこそ彼の耳に繝帯をした自画像の視点そのものなのです。彼の手紙を読んで、狂気との戦のあとを追って行くと、この視点を失うまいとする努力が、精神の集中と緊張とによってこの視点を得ては失い、失っては得る有様が、手に取る様に感じられるのです。

 

あの自画像は自身の狂気と病の記録であり、それと向き合う姿勢の現れだったのだ。

ナルシスト?厨二病?と思っていた時の私の視線はそれを馬鹿にしていたかもしれない。理解できなさあまりに見下していたかもしれない。

 

自分がわからないことだからってそれを見下したり軽んじるのは良くない。自分にはわからないしっかりとした理屈や崇高な論理が働いているもので、そういうものに守られているかもしれないのに。と、そんなことをシートベルトしない若者とか、ピッケル持たずに登山する若者の話を聞いて思ったばかりだったのに。そうした若者と同じだったのだ私は。

 

 

 

 

 

ゴッホについては前にも書いた。前読んだ評伝でも泣きそうになっている。

 

『ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家』 - 本読みの芋づる