前回『ムーミンパパ海へいく』ではムーミンパパのモラハラパパっぷりを力説したが、実はこの作品はそれだけでなく、メンヘラママも登場していた。
といってもそれはムーミンママではなく、モランというキャラクター。これは私が毒親育ちで、モランが自分の母親を連想させるキャラクターだというだけで、万人に共通する解釈ではないかもしれない。
しかし私にはそう見える。少なくともメンヘラではある。はず。
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モランの初登場は『たのしいムーミン一家』というシリーズでも初期の方の作品。その作品ではムーミン谷に色々な訪問者が来るが、その中にモランもいる。しかしモランは歓迎されない。おもてなし精神が溢れるムーミンママでさえも家に入れない。そしてあとで誰にも愛されない可哀想な子とかいわれている。
可哀想だから家に入れてあげて相手をしてあげよう、とはならない。ムーミンママは知っている、モランのような存在に近づいても碌なことにはならない。モランは触らぬ神になんとやらなのである。
「ママ、あいつはどうしてあんなにいじわるになったの」
「だれのこと」
「モランさ。だれかがなにかしたために、それであんなにわるくなったのかしら」
「そんなことがわかるものですか」
と、ムーミンママはいいながら、しっぽを水から引きあげました。
「むしろ、だれもなにもしなかったからでしょうね。だれもあの人のことは気にかけないという意味よ。あの人自身もそんなことはおぼえているとも思われないし、自分でもあれこれ考えはしまいと思うわ。あの人は、雨か暗やみのようなものか、でなければ、通りすがりによけて通らなければならない石のようなものよ。コーヒー飲みたい?白いバスケットの中の魔法びんにいくらかあってよ」
モランは誰にも気にされなかった、愛されなかったが故に誰もに害を及ぼすような存在になった、でもそれでも近づいては危険なのだ。メンヘラの傷を癒そう、構ってあげようと思っても際限がなく、逆にこちらのメンタルが削られてしまうように。
ムーミンはある日海辺でうみうまという動物に恋をする。そのうみうまたちをなぐさめるために灯したカンテラを振るが、その明かりにつられてモランがくる。モランはカンテラや灯台の灯りや家から漏れる灯りなどに引かれてやってくるようだ。
誰かが好きなことや好きな人のために何かをやってるとそれを邪魔しに来る、自分に注意を向けさせるために台無しにくるというのもメンヘラ毒親っぽい。とにかく自分に注意を向けて欲しくて気を引きたくてしょうがないのだ。自分以外に向けられた灯りなんて許せない。まるでその灯りに冷や水を浴びせることが彼女たちの生きがいであるかのよう。
ママは再びムーミンに忠告する。
モランと話をしてはいけないし、あの人のことを話してもいけないのよ。でないと、あの人はもっともっと大きくなって、追いかけてくるんです。それに、あの人をきのどくがることはないんだよ。おまえは、あの人がなんでも明るいものをこいしがっていると思っているようだけれど、あの人がほんとうにやりたいのは、明かりの上にすわって火をけし、二度とふたたび燃えないようにすることなのよ。さあ、しばらくねむれるといいわね」
しかしムーミンはママの忠告を聞かない。優しく共感力の高いムーミンはやがてうみうまのためではなく、モランのために夜な夜なカンテラを灯し海岸に向かう。でもただ優しいとか同情してとかそんな簡単な気持ちだけではなく、ムーミンの胸中はもっともっと複雑で、モランに対する感情も複雑。
モランの目はカンテラの動きを追っていましたが、そのほかの部分は動きませんでした。でもムーミントロールは、モランがもっと近くによってくるにちがいないと思いました。
でもムーミントロールは、モランとはどんな交渉も持ちたくなかったのです。モランの冷たさからも、のろまさからも、孤独さからはなおさらのこと、遠くへにげだし
たかったのです。しかし、動くことができませんでした。わけもなく、ただもうでき
なかったのです。
交渉は持ちたくない、もう関わりたくないけど、がっかりさせるのも後ろめたくて苦しい。まさに毒親を持つ子の心理、親を断ち切れなくて苦しい心理だ。
でも、ムーミントロールはどうしたらいいのでしょう。モランはなんというでしょう。モランがどんなに失望するか、それを考える元気はありませんでした。そんなわけで、彼は鼻を前足の中につっこんで、階段にすわりこんでしまいました。
『ムーミンパパ海へいく』の2つ前の作品、『ムーミン谷の冬』でムーミンはトゥーティッキという登場人物に「どんなことでも、自分で見つけださなきゃいけないものよ。そうして自分ひとりで、それを乗りこえるんだわ」といわれていた。それはムーミンに「自分のことは自分でやりなさい」と自立を促すのと共に、他人にもその人自身にしか面倒が見れない部分もあるということ、自他の境界線をしっかりと引くことを促すものでもあった。
トゥーティッキは事前にムーミンに教えてくれていたのだ。モランの孤独は本来モランが自力でどうにかするしかないもの、モラン一人で乗りこえなければならないものだと。
そのトゥーティッキの助言を図らずも実行するかのように、カンテレの灯油が切れる。もうムーミンはモランを照らすことができなくなった。それでも会いにいかないことに罪悪感を感じるムーミンはカンテラがなくても会いにいく。
ムーミントロールはびっくりして、一歩前へでました。モランが自分に会えてよころんでいるのは、うたがいのないことでした。カンテラのことなんか、気にしていません。ムーミントロールが会いにきてくれたことをよろこんでいるのでした。
灯油がなくなったことを契機に、他者を照らそう癒そうと思わないこと、自他の境界線をしっかり引いて踏み込まない、その人を問題はその人にしか解決できないものもあると示唆したところで、急に全てが解決し、モランはメンヘラでなくなる、というのは少々納得がいかない。いかないけれども、このムーミンとモランの関係性この2人の話は、トゥーティッキが言っていた自他の境界線をしっかり引き、自分ひとりで乗り越えなければならないというメッセージだろう。
本当のメンヘラや毒親というものは、モランみたいに簡単に引きさがらないけど、会いに来てくれただけで嬉しいなんて言わないしこちらに際限なくあらゆる要求をしてくるものだけれど。
