巻六はほかの巻と違って二つの帖だけ。若菜上と若菜下のみ。でもそれぞれが結構分厚いので他の巻と厚さはだいたい同じ。
京都の博物館で写本を見たとき、この若菜上と下だけ分厚くて立体感がすごかった。源氏物語をリアルタイムで読んでいた読者はこの帖が回ってきた時には「今回はこんなに分厚いの?しかも上ってことは下もあるってことだよね?」とテンションが上がったのではないかなぁと妄想が広がって楽しかった。
若菜 上
朱雀院パパによる娘三の宮婚活物語のはじまりはじまりである。
出家したい朱雀院の唯一の心残りはまだ十三、四の三の宮。自分が出家して俗世を離れたら、一体この子は誰を頼りにして生きていくのだろうかと、パパは娘の行く末、婚活に頭を悩ませる。
朱雀院出家の噂を聞いた東宮にも娘の行く末の不安を吐露するのだが、その中に聞き逃せない箇所がある。
お忘れにならず、あの女宮たちのお世話をしてあげて下さい。その女宮の中でも、しっかりした後見のある人は、そちらに世話を任せてもいいのです。ただ女三の宮だけが、まだ年端もいかず、ずっとわたし一人だけを頼りにしてきたので、わたしが出家してしまったら、後は寄るべもなくなり、どんな世の波風に漂いさすらうことかと、それだけがしきりに心にかかって、悲しくてなりません
色んな男君を候補として挙げて、それぞれ利点や欠点をあげああでもないこうでもないと悩んだ末に結局白羽の矢が立ったのは光源氏だった。
朱雀院はしっかりとした後見のある人なら心配ないけど、そうした後見を持たない娘の三の宮が心配だというけど、いや紫の上も…後見がないんですけど…。光源氏を女三の宮に取られたらどうすれば…。
一回でも紫の上のことを考えたことがありますか。院という権力者の娘が嫁いできたら後見のない紫の上はどれだけ心許無くなるか不安定になるのか考えたことがありますか朱雀院。
源氏物語には紫式部の曽祖父が作った「 人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」という、親心の闇の歌が何度も引用されるけど、自分の子供のことで頭がいっぱいで他の人のことまで考えが及ばないというのも、それはそれで闇である。
そうはいっても一応朱雀院も、光源氏が面倒をみている他の女君のことは頭の片隅にあるようで、
あちこちにお世話する女君たちが大勢おられることは、あまり問題にしないでもいいだろう。とにもかくにも、その辺のことは、どっちみち本人の心がけ次第だろう。
と言っている。
本人の心がけ次第に任せていいのですか?なんかこの言い方はやっぱり、「他の女がいっぱいいるのは知っているけど、いうてうちの娘が地位として一番だし一番大事にされるだろう。他の女の嫉妬やらなんやらは光源氏がうまくバランス取ったりあしらったりするだろう」なんてう本心が透けてみえる。
朱雀院も女三の宮が降嫁することで紫の上の立場が危うくなることは薄々感じていそうだ。
でもやっぱり自分の娘が心配で自分の娘が良けりゃそれで良いのである。やはり親心の闇である。
紫の上が辛いのは宙ぶらりんで間に挟まれて、身動きがどれないところだ。
光源氏に情をかけられて使い慣らされている女房には、
「まあ、只今はどんなお気持でいらっしゃることでしょう。もともと御寵愛をあきらめているわたしたちは、こんな時、かえって気が楽ですけれど」
なんて言われていて、この女房たちのように御寵愛を諦められていたらいいけど、女三の宮との結婚を蹴るぐらい溺愛されているわけでもない。
朱雀院からは、
幼い人が、何のわきまえもない有り様で、そちらに参っておりますが、何卒罪もない者と大目に見て許してやってお世話下さるようお願いします。あなたとは従姉妹どうし、まんざら縁故のない仲でもないのですから。
子ゆえのの心の闇を晴らせないで、こんなお手紙をさし上げるのも、愚かしいことで
すが
と手紙でいわれ、それを読んだ光源氏にも
「おいたわしいお手紙だ。慎んでお引き受けするとお返事をさし上げなさい」
といわれ、宙ぶらりんの板挟みである。
つらい。
だれも紫の上の気持ちに寄り添ってくれない。
こうなると、紫の上の一番の不幸は宙ぶらりんでも板挟みでもなく、仲のいい気の置けない友達がいないことなのかもしれない。
他の姫君には母親や乳母子や女房がいて、一緒に嘆いたり、姫が幸せになるために行動してくれる相棒のような人がいるのに。
若菜 下
明石の尼君の幸福具合が良い。幸せな老人っていいな。
児童文学で孤児の子供が悲惨な状況にある物語は多い。それだけ子供が悲惨な目に合う物語は読者の同情を誘い、感情移入して応援したくなるというパターンなんだろう。それと同じくらい老人が悲惨な目に合う物語も辛い。老人が辛い目にあう物語は、児童文学の場合と違って老若男女に好まれる物語ではなく、同情共感する年代は限られるだろうけど、あれも孤児ものと同じパターンな気がする。子供には無邪気に笑っていてほしいのと同じくらい老人には穏やかにふくふくの笑っていてほしい。
尼君も、どうかすると、こらえきれぬうれし涙がこぼれ落ちるのを、しきりに拭くので、目のふちを赤く爛れさせて、長生きをして幸福な年寄りの、見本のようになっていらっしゃいます。
そんな尼君と対照的なのがここでもやはり紫の上だ。光源氏の本妻として(他の女の影に悩まされていたとはいえ)ずっと安定した地位にいたのに、三の宮の登場でそれも危うくなってきた。光源氏のお陰で幸運に恵まれ、他の人がしているような苦労はしなくてすんだけど、光源氏のせいでしなくてもいいような苦労もたくさんしてきた。紫の上は幸福なのか不幸なのか。というより、幸福なのか不幸なのかわからない中途半端で誰とも分かち合えない状態にいるしかない孤独な状態が紫の上の恵まれなさで不幸なのだ。
そう、やはり紫の上の一番の不幸はそれをわかってくれる母親も乳母や乳母子がいないこと。明石の姫君の入内に際し、紫の上は明石の君と和解してちょっと良い関係にはなった。でも相棒にはなり得ない。共に源氏の妻であるという立場が邪魔をしてしまう。紫の上と明石の君は対等であるが故に相棒にはなれないのだ。
バディになるには乳母と主、乳母子と主君のように、階級差が必要なのか。階級に差があったら相棒ではないか。でも階級差があるからこそ、階級ではない何かが対等になる気がする。
紫の上は周りの女御たちにも気を許さず、寝室で身じろぎをしたらその布ずれを聞いた女御たちに「寝れないんだ…悩んでるんだ…」と思われそうだから一切身動きを取らなかったというシーンもある。
紫の上がもっと周りに自分の苦悩を打ち明けていたらどうなっていただろう。プライドを捨ててそうすることはかなりの勇気がいっただろうけど、もしそうしていたら。女御たちはなんとなく紫の上を遠巻きに憐れんでる様子もあるし、もしかしたら光源氏の悪口大会でも開いて憂さを晴らせていたし、そうしたらそこまで追い詰められることもなく、結婚生活も少しは穏やかになったかもしれない。
紫の上に愚痴を言い合い嘆き合い励まし合うような相手がいたら…、と彼女の孤独を見るたびに思ってしまう。
