本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

48.『小麦畑できみが歌えば』

関かおる『小麦畑できみが歌えば』を読んだ。

憧れのあの子が同志になるまでの物語で、伏線回収されてしまう息苦しさやすべてのものに意味がなくてはいけない窮屈さ、他者を納得させる強い動機やバックグラウンドがないと生き残れないという物語強者生存の論理に抗う物語だった。

 

物語の主人公唯吹はある日、テレビで「あの子」の歌う姿を見る。「あの子」は小学生以来疎遠になったけど、それまでは歌う喜びを一緒に分ち合っていた寧音。彼女が春のセンバツ国歌独唱をする姿、その声は唯吹に憧れを抱かせ背中を押し、歌が好きだという気持ち、歌いたいという気持ちを芽吹かせた。唯吹は、テレビで見た「あの子」を追いかけるため、地元のオペラハウスのオーディションを受けることに。

 

オーディションの結果、勝ち残ることはできなかったものの、アメリカにあるオペラハウスのサマープログラムに参加する権利を得た唯吹。

このプログラムの他の参加者は、なんとしてでも勝ち抜きたい戦果を得たいという強い動機の持ち主ばかり。

 

「初めて観たオペラは本場のスカラ座」というエピソードを持ち聴衆として恵まれた家庭のスンウ、母がオペラ歌手で英才教育もされていて歌い手として恵まれた家庭のミゲル、母はクラブの歌手で貧困家庭から抜け出したいという強い気持ちを持つアイリーン、戦争で母国を追われ故郷で歌いたいというカティア。

 

そしてその中には寧音もいた。

強いバックグラウンドを持つ参加者と、憧れのあの子を前に、唯吹は憧れと同時に自分の生まれた場所や歌いたいという気持ちに向き合って行く。

 

プロジェクトの参加者として寧音と同じフィールドに立った唯吹は、遠くから憧れていた時には見えなかった寧音の内面を渦巻くものに気づくことになる。

いつのまにか遠くに行ってしまったあの子の隣に再び立つためには憧ればかりじゃだめで、足元を見据えて内面を満たして一歩一歩を重ねることが必要だった。「憧れは理解から最も遠い感情」という言葉があるように、それは憧れが憧れではなく、重みを増し現実になっていく過程でもあった。

 

憧れが現実になっていく重みに耐え、それで隣に立てたとしてもあの頃憧れていたあの子みたいにはなれるわけではない。なれたとしても、「あの子」そのものになったとしても、それでは隣に立つ意味がない。

 

憧れの人が絶対に乗り越えられない壁、現実として立ちはだかってくれているから、じゃあ自分には何ができるんだろうどうしたいんだろうと考えることができる。だから唯吹は唯吹の立つ場所や持ち物に気づけて、唯吹は唯吹になれる。だから寧音の隣にいくことができた。

 

唯吹が最初に抱いたのはあの子の隣に行きたいという憧れ、そして「ただ歌が歌いたい」というシンプルなものだった。しかしその願いを叶えるためには、強い物語や強い動機を持つ参加者との競争で勝ち抜かないといけない。そうした参加者の中で、場違いというかシンプルな欲望を叶えるために、複雑な欲望を抱かなければいけない欲望の渦に巻き込まれなければいけない。

 

そんな複雑なものに巻き込まれていたら、自分のバックグラウンドを最大限に活かし、自分の物語や動機をどんどん強いものにしていってもおかしくはないのに、唯吹はそうしない。実家が小麦農家であるという、如何にも物語化に有効な要素も、勝負のために強いカードとして切られることはない。

 

他の参加者と自分を比べた唯吹は、自分の中は空っぽだというけど、そうじゃない。唯吹の中には他者に渡して簡単に意味づけられはしないような微かな人生の手触りが入っている。それは小麦畑をわたる風や、ただ歌が好きで「好きだから歌いたい」というたった一つの単純な願いだったり、大きな物語に回収されないものなだけだ。

そうした中でも唯吹はただ歌いたいという気持ちを持ち続けて見失わなかった。

唯吹には自分の持つ感覚やアイデンティティを伏線にさせない物語化させない。そうした圧や誘惑を弾いてしまうしなやかさがある。

 

それは主人公の唯吹だけではない。物語の冒頭の地元のオペラハウスのオーディションで唯吹が出会った裕子も、そうしたしなやかさと、したたかさの持ち主だ。

裕子は6年連続で出場しているが、オーディションの音合わせの段階で緊張で声も出せず、本番では顔は真っ白になり歌い出しても最後まで歌わないうちにベルを鳴らされ退場させられてしまう。

それでも毎年彼女は来る。

歌で誰かの上に立ちたいだとか誰かに勝ちたいだけで毎年こんなふうに舞台に立ちだろうか。そうした欲望だけではとっくに挫けているのでは。裕子もまた唯吹と同じようにただ歌いというシンプルな欲望の持ち主だったのではないか。

 

人生を一つのレースとして捉え、勝つために必要のないものは振り捨てていく。一本の強固な物語に纏めるためには意味付けしようのない小さな生活の手触りは切り捨てていく。強者生存の論理や強固な物語化を軽やかにかわし、吹けば飛ぶような微かな出来事些細な感情を掬い取る物語だった。