某月某日。
益田ミリ『かわいい見聞録』を読む。
ミリさんがかわいいと思うもの、しじみやメロンパンや毛玉の語源や歴史や思い出が書かれている。いつも読んでいるエッセイとは違って、新聞の片隅にあるちょっとしたお勉強コーナーみたい。
『日本語源広辞典』で「あやとり」の語源を引いてみた。
「語源は、『アヤ(綾・人知を越えた美しさ)+取り』です」人知を越えた美しさ、を指で取る、あるいは取り合う遊びとは、なんとも優雅な語源である。
『日本語語源辞典」で「綾」そのものも調べてみた。あや、は「あやかる」と同根であるらしい。すなわち、
「その物の性質や条理にあやかって自然に生ずる模様とか、いろどりをいう」のだそうだ。
私の中の希少な自分の好きなとこに、名前の字面と響きがある。その名前には「綾」という字もあるので、気持ちがぐわっと上向きになった。名付けた方は多分語源に関しては知らなかっただろうけど、やはりいい名前だ。
某月某日。
オスカー・ワイルドの「漁師と魂」を読んだ。
人魚の誘惑に負けて魂を切り離した漁師が、今度は魂に誘惑され、魂が語る長々とした話、冒険譚に基づく教訓を聞かされるんだけど拒み続けて人魚の元に戻る。だけど3度目の「あの街に可愛い踊り子いるよ?」という話を聞くと即、魂についていく。コメディなのかこれは。
「結局それかよ!」と全力で突っ込んでしまった。冒険譚と教訓を真面目に読んでたのに。ボケの前振りじゃないか。しかも漁師は3年目に聞いた話に出てくる踊り子に興味新々で「人魚には足ないから」という理由で魂についていく。3年目の浮気か。
某月某日。
大森望編『時間SF傑作選 ここがウィネトカなら、きみはジュディ』のリチャード・A・ルポフ「12:01PM」とソムトウ・スチャリトクル「しばし天の祝福より遠ざかり……」を読む。
どちらもタイムループもので、前者は自分だけ同じ1時間を繰り返すけど行動も言動も自由で、後者は世界中の人間が同じ1日を繰り返すが行動も言動も最初の1回目と変えられない。
だから後者の主人公は毎朝彼女と喧嘩をし平手打ちをし振られる。頭ではわかっているのに行動も言動も止めることができない。つらい。しかもこれが七百万年も続く。つらい。
SFは思考実験だというけど、2篇続けて読んだら、行動も言動も自由にならない1時間が七百万年繰り返されるとしたらどの1時間がいいかという思考実験が始まった。
私は1日の大半を本を読んで過ごすから、そういう時間を繰り返すことになりそうだ。
でも行動が選べないから同じ本を七百万年読むのは拷問過ぎる。やっぱり寝てる時にそうしたループが始まるのがいい。行動も言動も自由にならないのに頭の中だけ自由なのはやはり拷問だ。
中学生の頃、死ぬまで寝続けたいと思っていたことを思い出した。
某月某日。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』には〈与えることこそが喜び〉と書いていると書かれた本を読む。
私は「幸福な王子」のように与えることが喜びでそんな自分に酔えるような、ナルシシズムを持ち合わせていないので、与えた相手が私を舐めてきて、与えられてることが当たり前という態度だったらキレるけどな、と思う。
無償の愛とは結局ナルシシズムで、究極相手なんて誰でもでいいのでなはいか。
あるいは、相手のことを与えられたものに対してそれ相応のものを返せるような返済能力のある責任ある人間であると思ってないからこそ、その人を舐めてるからこそ、無償の愛を捧げるのかもしれない。
いや逆に自分のことはどうでも良くて、見返りなんてなくてもいい、自分はどうなってもいい舐められてもいいと思えるぐらい、自己評価が低くて自己愛がないからこそ犠牲にできるのかもしれない。
よくわからなくなってくる。自分を愛しつつ他人を愛するなんてことができるのだろうか。
『愛するということ』を再読したくなってきた。
某月某日。
「本棚を見られるのは裸を見られるようで恥ずかしい」と書いてある本を読む。
本棚を見られたところで何をどう思われたところで、それはきっと全部間違っているからいいかなと思う。私がどんな人間でどんな感情を抱いているかなんてわかる人間はこの世にいないのだ。
「何を見られても恥ずかしいところなんてない」というのはカッコつけでもあるし、他人に全く期待してない信用してない言葉だ。
私がここにこうして色々書けているのも、もしかしたらそういう所もあるのかもしれない。
わかって欲しくて書いている所もあるけど、わからなくても全然いいし、むしろ色々勝手に勘違いして欲しいなとも思う。その方が、私が思ったことを読んで、私が思ってもみなかったことを考えてくれた方が、嬉しいかもしれない。
わかりあうことをそれほど期待していない。
でも「絶対に他人には自分のことなんてわからない」ということだけは誰かとわかりあえるような気がしている。不思議だ。だけどそれだけが他者とわかり合える唯一の希望でもある。