本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

54.『嵐が丘』

10年近く前に読んだE・ブロンテ『嵐が丘』を、映画化きっかけに再読した。

なんか前に読んだ時より激しい。読むだけで体力を奪われる。こちらの体力が衰えているからなのか。

そして前読んだ時にはまだ存在していなかったであろう「メンヘラ」という単語が思い浮かぶ。登場人物たちのメンヘラ率の高さよ。みんな「こんな可哀想な私を見て!私を愛して!」といっている。

ChatGPTに『嵐が丘』を読んでいることを話したら「ヒースクリフは可哀想だと思うか?」と聞かれたけど、可哀想だとは思わなかった。可哀想だと思うような余白が彼にはない。そう思われたくはないのか可哀想だと思われたい時期をとっくに乗り越えて復讐に燃えているからなのか。

「同情の余地」はないという言葉は「自業自得」だという意味だと思うけど、ヒースクリフは何も悪くはない。自業自得といわれるようなことは何もやっていない。でも他者の同情を受け付けない感じ、憐れまれることを拒否している感じがする。だからそういった意味で同情の余地がない。

でも「こんな可哀想な私を見て!私を愛して!」とは叫んでいる。

メンヘラには自業自得型のメンヘラと他者の同情を撥ねつけるメンヘラがあるのだろうか。

 

ヒースクリフには同情しない、可哀想だと思わないけど、ヒースクリフの息子リントンは可哀想だ。

母1人子1人で暮らしていたところ、母が亡くなり、それまで母親から父親がいるということすら聞かされていなかったのに、その聞いたこともない父親に引き取られ、その父親がヒースクリフなのだから。可哀想だ。おまけに病弱。

ヒースクリフは「あいつは親切に飢えている」から優しくしてやってくれ」とキャシーに言って、キャシーとリントンを結びつけることで復讐を成し遂げようとする。

息子が親切に飢えていて病弱なことさえ、復讐達成への駒にする。

息子が親切に飢えていることは察してはいるけど、その飢えを無視し自分の復讐に利用する父親。そんな父親を持っていれば、優しく面倒を見てくれるキャシーのことを好きになってしまうし、キャシーが離れていかないように「こんな可哀想な私を見て!私を愛して!」と叫んでしまうのもわかる。そうしてまんまとヒースクリフは復讐を達成してしまう。リントンはやっぱり駒で、全てはヒースクリフの手の内にある。

リントンは同情の余地のあるメンヘラだ。

 

メンヘラたちは「こんな可哀想な私を見て!私を愛して!」というけど、ここでいう愛とはなんなんだろう。

可哀想な人を可哀想な人だと認識し、「酷いよね辛いよね」とよしよしすることなんだろうか。でもそれは同情の余地がある人が望んでいるもので、ある意味で同情の余地のないヒースクリフのような人は求めていないのではないか。ヒースクリフが求めていた愛とはどんなものだったのだろう。いやそもそもヒースクリフは愛を求めていたのだろうか。キャサリンと一緒にいられて名誉を回復できたらそれでよかったのでは。

でもヒースクリフとキャサリンが結婚できて夫婦になれたとて、二人とも性格が激しすぎて安穏として夫婦生活にはならなかった気がする。なんか二人とも浮気しそうだし。二人とも浮気して島尾敏夫の『死の棘』の両方妻バージョンみたいな夫婦になりそう。