本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

Log14押しつぶされる声搔き消される声

某月某日。

長濱ねる『たゆたう』を読む。

う、羨ましい。どうしたらこんなエッセイが書けるのだろう。エッセイ映えする特別なことだって起きるし、特になにもない日でも輝かせてしまう文章力と感性がある。羨ましい。

文章が上手いっていうことはもちろん大事なんだけど、エッセイはやはり感性がものをいう。

同じことを感じたことがあるはずなのに、私にはこんな文章が書けないなと思うのは、文章力のあるなしだけではなく、感性が浅いか深いかも関係がありそう。いつまでも鮮度を保っていられるかとかセンサーがより敏感かどうかも。

エッセイにこそ文章力と感性のきらめきが出るんだきっと。

 

しかし長濱ねるさんが書いても西加奈子さんは西加奈子さんである。西加奈子さんは誰に書かせても西加奈子さんすぎて、改めて西さんのすごさと溢れ出る人格を感じた。

 

某月某日。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『魔女と暮らせば』を読む。

『クリストファーの魔法の旅』でもそうだったけど、血の繋がる親や兄弟の描き方がすごく冷めているのがすごい。温かい親子や支え合う兄弟というのは描かれないし、実はもらいっ子という展開でもないし、意地悪な家族を描いた後に「ざまぁ」な展開でカタルシスがあるわけでもない。冷たいだけ。

「家族に暖かさを期待するな、家族から受けた負の感情がいつか晴れるとも思うな」というメッセージを感じる。すごい。本当に児童文学か。でもこれに救われる子も確実にいる。夢を抱かせないという優しさがある。

 

某月某日。

はらだ有彩『「烈女」の一生』を読む。

トーベ・ヤンソンやマリー・キュリー、吉屋信子、ハンナ・アーレントら20人の人生が書かれた伝記集のようなエッセイ。

女たちの激しく劇的な人生がはらださんの熱く格好良い文章で書かれている。それははらださんが作り上げた物語のような気もして危険な感じもする。でもそれをしっかりと自覚した上での語り口でもあった。
語り継いでいくことは必要だけど、物語化する怖さもある。

女性の地位向上のためとか国家の繁栄のためとかではなく、ただ自分のために生きただけでも、「他人のためにその身を捧げた」物語にされたりするし、実際に利他的で周囲をエンパワメントしてたりする。それは書かれた方の喜びになるのか、それとも利用されているようで不快なのか。

 

某月某日。

ナヴァー・エブラーヒーミー『十六の言葉』を読んだ時に、大きな声にかき消されそうになっている声、正しいとされている声に押しつぶされそうになっている声を拾い上げるのが文学なのではと思った。

口を塞がれているけれど、大きな存在に対して感じている鬱屈や違和感がしっかりと伝わってくる作品だった。

政治や宗教という大きなくくりにくくられてしまって、ないものにされている人たちがいる。攻撃されている側にも攻撃している側にも戦争したくない人は絶対にいる。

そういう人たちと文学を通して繋がりたい。だけど反体制側にある文学がこれから先、私に届くことはないのかもしれない。出版されることも翻訳されることもないのかもしれない。