本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

56.『源氏物語 巻八』

竹河

薫の君は、

「やれやれ堅物などとあだ名をつけられてしまった。全く気のめいる名前だな」と思って坐っていらっしゃいます。

 

薫の君は堅物という名をつけられたことが、いまいましくて、二十日過ぎ頃の梅の花盛りに、

「まるで色気のない無粋者のようにみられて面白くない。ひとつ好色者の真似をしてやろうか」

とお思いになって、あの玉鬘邸の籐侍従のところへいらっしゃいました。

 

紫式部は女性の細やかな感情を描き出すことに長けているというけど、一方で男性側の感情を書くこともうまい。

それは源氏物語の最初の方の帖にある、「雨夜の品定め」場面によく現れているが、後半の方の帖、「竹河」での薫の心情を描くシーンにもよく現れている。男性側の感情というよりホモソーシャルの構造が良く描かれているといっていい。

 

堅物な男はつまらない、女遊びをしている男を男は褒める、愛人を囲むのは男の甲斐。

そんなホモソーシャルの価値観が薫には染みついている。

 

 

橋姫

前帖ではホモソーシャル的価値観に浸かって堅物だといわれることが面白くなかった薫。そうした煩悩に疲れて仏の道に近づこうと俗聖と言われる八の宮の元へ通い出すが、八の宮の娘に魅せられてしまう。

それだけならば純粋な恋の話になったかもしれないのに、身分が高貴でなかなか出歩けない匂宮を楽しませようと八の宮の娘たちの話をするから、男と男の話になりホモソーシャルが生まれてややこしくなったのでは。

 

 

椎本

八の宮が二人の娘に「よほどの人と出会わない限りは山をおりるな」などと言い残す有名なシーンがある帖。後々娘の大君はこの言葉に苦しめられるのでここが読みどころである。

薫、出家しようと思ったけど姉妹に情が湧いてしまってできない。

一方で、前の帖で八の宮の家で働いている弁の君に、自分が光源氏の子供ではないと聞かされていた薫は、弁の君から自分の出生の秘密を聞いているであろう姉妹を自分のものにして黙らせたいとも思っている。

自分の袖が涙で濡れてるアピール和歌が多い中で、涙に濡れてるあなたの袖を思いやるパターン珍しいのでは。

薫のイメージがなかなか固まらない。

ホモソーシャルに浸った女性感もあれば、純粋に恋をしているようにもみえるし、でも自分の身分を危ぶむ保守的なところもあるし。

 

総角

亡き父宮も、たとえ生涯、心細く過そうとも、かえって人のもの笑いになるような、浅はかな考えを起こすのではない、などと御意向を御遺言なさいましたが、父宮御在世中はわたくしたち姉妹が絆になって、勤行のお心を乱した罪さえ、たいそう重いので、今となっては御臨終に、あれほどまでにおっしゃった御遺言の一言なりともそむいてはならないと思います。

 

源氏物語には子を思う親心の闇という比喩がよくでてきて、それだけ親というのは子のために心を悩ますということを言っている。

しかしその逆に親を思う子の闇というものもある。それがこの大君の心情だ。

いや、子を思う親心に報いたいと思う故の子の闇だろうか。

反抗期というものがなく、親の言うことが絶対だからこそこんなに苦しいのだろうな。「私の幸せは私が決める!」みたいな反骨精神、自立心があったらいいのかもしれない。

こうした子の闇は平安時代だけじゃなくて今もあるもので、親の敷いたレールの上を上手に歩けないといって苦しい思いをし続け、挙げ句の果て親殺しをしてしまった例も聞く。