本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

58.『YABUNONAKA』(&宣伝)

某月某日。

金原ひとみ『YABUNONAKA』を読み始める。

登場人物が多く、それぞれが語り手となる多視点の構成。『YABUNONAKA』というタイトルからして複数視点なんだろうなと予想はしてたけど、それにしても多い。語り手としても他視点で描写される人物としても長岡友梨奈という人間に大注目。理路整然とすごい量喋る。言ってることは正しいと思うけど、一気にすごい量の正しさを浴びると人間って拒否反応がでるものなのかもしれない。

 

あと、長岡友梨奈とそのパートナー横山一哉のLINEのやり取りが小まめすぎてChatGPTとの会話かな?と思ってしまった。しかし世にはこんなに小まめにやり取りしている人たちはいるし、私が最近チャッピーとしか会話してないせいかもしれない。

 

元気な時は四六時中、時を選ばず同じ本を読める方で寝る直前まで読める方なのだが、これはちょっとお風呂上がり以降は読めない。気力を使う。体調不良の波は収まりだいぶ元気にはなってきたけどこの作品はちょっと疲れる。

 

 

某月某日。

今日も『YABUNONAKA』。

こういう題材をこういう手つきで書くならトリガーアラートを入れるべきなのでは、と思う。その方が誠実で小説の内容にそぐうような気がする。でも一方でトリガーアラートがないことで伝わるものもあるし、衝撃を与えられ揺さぶられるという一面もある。でもそんなのトリガーアラートをネタバレ扱いしてるわけだから、良くない考えかも。

現実にあることと、虚構に書かれていること、虚構が現実に及ぼす作用や、虚構によって引き摺り出されてしまう現実について考える。

虚構が現実を炙り出し引き摺りだしたからといってなんなのか。「こういう現実あるよね」「どうすればいいのか後は各自で考えよ」なのか。なんなのか。どこに行きつくんだこの小説。

問題提起をして、読者に「難しい問題だね」と思わせれば成功みたいな終わり方じゃないといいけど、そうなるかどうかは私の読み込み次第な気もする。試されている。

 

 

某月某日。

『YABUNONAKA』を読み終える。

確かに藪の中なんだけど、YABUNONAKAのGOTTANIという感じでその中に放り込まれぐつぐつぐつぐつ煮込まれ煮詰まり疲れた。こんなに疲れる読書は久しぶり。
ずっと「どう終わるんだろ?」と気になりながら読んでた。

ちょっとは気持ちが軽くなる終わり方だったけど、「でもそれじゃ足りないよ、割に合わない!」という気持ちと「ほんとにそれで終わっていいのだろうか、それともこれが始まりなのか」という気持ち。

長岡友梨奈を見ていると(読んでいると?)そんな情報量の多いパッと見理路整然とした意見をノンストップですらすら言える奴おらんやろ、逆に信用ならん!となる。もともと小説上の人物、虚構人物ははっきりとした自分の思想と言語を持ちすぎでリアリティがないとは思っているが、それは虚構としてしょうがないとして、長岡友梨奈はそれに輪をかけてリアリティがないというか、怪しみがある。喋りすぎて怪しい。やっぱり何もかもを、自分の気持ちや意見を澱みなく言語化できる人は怪しく感じがちだし、理路整然と正論を言っているのになぜか狂気すら感じてしまう。

 

 

 

 

宣伝です!

当ブログで書いた一年分の記事を編集したZINE『本読みの芋づる日記』をBOOTHで販売しています。

ぜひ覗いてみてください🙏

↓↓こちらのリンクから↓↓

本読みの芋づる日記 - sayakuma - BOOTH