本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

Log18 絶対的相対主義

某月某日。

『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』を読む。

(がっつりネタバレするわけではないけど、ネタバレのような気もするので、読みたくない方は次の某月某日まで飛んでください)

 

ずっとハーマイオニーがハリーとロンに対して「男の子って!」となっていたけど、ここにきてハリーがチャンに対して「女の子って!」となり始めて、女子が「男の子って!」と思うタイミングと男子が「女の子って!」と思うタイミングには一年ぐらいの幅があり、それこそ女の子であり男の子だよなぁと愉快だった。

 

あと。ハリーの父親が。そういうやつだったんだっていう。

私は子供が大人になる瞬間というのは、親がただの人間だとわかる瞬間だと思っており、そういった意味でこれはハリーが大人になった証なのかもしれない。

ハリーは生まれた時から様々な苦労をしていて、大人への信頼度なんてもともとなかっただろうけど、やはりどこかで「親への幻想」は持っていただろうし、それが打ち破られ、親代わりとして頼っていたシリウスもいなくなってしまったし、あんなに完璧なダンブルドアにも欠点があることがわかったし、いよいよ大人への階段を登り終えたところなのか。

ハリーは15歳。『魔女の宅急便』によると14歳が独り立ちの時期らしいし、男の子だから1年遅れて15歳が独り立ちの時期ということだったりして。

 

 

 

某月某日。

石川明人『宗教を「信じる」とはどういうことか』を読む。

信仰があるといっても、信仰がある人たちだって一枚岩なわけじゃないし、絶対的な神を心から信じていたら幸せなわけでもないし、信仰心があれば誰もが善良なわけでもなく、宗教のせいで対立や侵略、戦争が起きたりする。

もちろん一枚岩の人もいるし、慈善活動で誰かも幸せにしたり、信仰心のお陰で心穏やかな人もいるけれど。

というようなことがずっと書いてあった。

 

年を取るにつれてだんだんと、「一概にはいえないよね」「人それぞれだよね」と思うことが増えてきていて、「臨機応変」が座右の銘になりそうなになってきている。

それってちょっと虚しい。絶対的な価値観を持っている人の方が芯があって自立的で成熟してみえる。そうなりたい。

「人それぞれ」というのは結局何も言っていないようで何が言いたいのか自分でもわからなくなることもしばしばだ。でもたったひとつ言えることがあるとしたら、それは「一概にはいえない」「人それぞれ」ということなのだ。相対主義が絶対的に正しいのだ。でもそれはやっぱりなんか違う。論理的にというより心情的に。

そんなふにゃふにゃな正しさではなく、一個でいいから小さくてもいいから、確固とした譲れない絶対的な正しさが欲しい。

 

 

 

 

某月某日。

文フリで買ったエッセイ本を読む。文フリにはもう5回ぐらい行っていて、その度に大量のエッセイや日記本を買って読んできたけど、ここにきてやっと「やっぱりプロのエッセイのが綺麗かも」と気づく。遅い。

綺麗というか、商業出版されているものの方が胸の奥までちゃんと届く気がする。まっすぐで洗練されてる分届きやすいのだろう。

それは書き手がプロだからというよりも、プロの手が入って修正されているからということでもありそう。

文フリの本を読んでいると、伝わるけど微妙に間違っている言葉とか、文章の構造が無駄に複雑だったりとか、そういうので突っかかってしまうことがある。あと、こういう言葉に素人っぽさが出るなという言葉(「個人的には〜」「〇〇という印象」)とか。

そのどれもが私もよく書いてしまうものだから、もっとしっかり修正して洗練された文章にしたい!と思うけど、それって文章のルッキズムみたいなことなんだろうか。

「綺麗であればあるほどいい」「文章はこうでなきゃいけない」なんて規範はないはずだが、やはり綺麗になりたいと思うのは人情で。でもどんな綺麗さを求めているのかわからない、はっきりとした理想像はない。

素人っぽさが輝く文章もあるけど、今更そこを目指すのは文章を書きすぎていて無理そうである。

とりあえず修正をしよう。文章の能力がない人に修正の能力があるのか疑問だけど、せめて修正はがんばろう。

 

 

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