本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

60.『アンチ・グッドモーニング』

このブログで無意識に何度も書いてしまっている願望に、「私は私から逃れたい」というものがある。第175回芥川賞候補作の八木詠美『アンチ・グッドモーニング』にもそんなことが書かれていた。「私が私であり続けることのつらさ」が。

そしてそれは前回書いた村司侑『ソリティアおじさんがいたころ』と共通する「行き詰まり」の話でもある。

 

『ソリティアおじさんがいたころ』の行き詰まりは、彼との未来の見えなさ関係の行き詰まりだったが、『アンチ・グッドモーニング』はホワイト企業としての顔を保とうとするあまりにブラックさが増している職場環境とそれによる不眠が行き詰りとして書かれている。

主人公は不眠解消に協力的な夫と共に様々な快眠グッズを取り入れ、食生活体質改善に取り組むが、まったく寝れない日々が続く。

寝れないことの何が辛いって、意識を手放せないこと「私が私である」という意識を手放せないことだ。自分の体に対する意識も生活も未来も過去もこの世界に対する意識も寝れないということも寝たい寝なきゃということも起きて意識があるかぎりずっと纏わりついてくる。

そんな眠れない日々が何か月も続いたあとに、主人公の前に「魂の一部を差し出せば眠れるようにする」という悪魔みたいな笑うセールスマンみたいな人間が現れる。

「わたしはあまりにわたしを続け過ぎていた。魂の一部ぐらいあげたっていいじゃないか」と魂を差し出しそうになっているところに今度はヤクルトレディみたいな人間にこう言われる。

あなたはこれ以上、受け身を学ぶべきではありません。もちろん受け身はある種の手段です。しかしあなたはそれを学び過ぎました

 

賢いふりをしながらインスタントな手段を取り続け、ご自身を少しずつ弱らせているということです

 

眠れるということは意識を手放せる、私の一部を手放せるということだが、それには魂の一部を差し出さなければならない。これはどういうことだろう。

 

受け身を取り続けた結果魂を差し出す。魂を差し出すという行為が、受け身の極致にある気がする。

魂の一部を捨てるとは私を手放すということか。

しかし主人公は魂を捨てることを諦める(私を捨てることを諦める)ことで、束の間意識を手放すことに成功する。寝れるようになる。仕事を休み睡眠以外の全てを投げ打つことで、私との距離感を上手く掴むことができ、私と上手く付き合っていくことができるようになる。

魂を捨てるというインスタントな手段(受け身を取り続けるスタンス)を捨てて、私を捨てることを諦め受け入れることで、意識を手放すことに成功する。

 

魂さえあれば意識は飛ばせる。私から逃れられる瞬間を得られる。

魂さえあれば、私は私でいられるし、時に私を手放すことができるということなのか。

 

魂を売るといっても、売ったらそれが買い手の持ち物になるだけで、私の魂はずっとその手に握られている。仕事の悪魔にずっと魂を預けて仕事のことしかできなくなるということなのか。魂を売るとか捧げるという言葉は全身全霊でそれに取り組むというイメージだけど、その一部を売るってどういうことなんだろう。

 

魂と睡眠と私である意識と受け身。それぞれどんな関係になるのか頭が混乱する。