本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

62.『丹心』

第175回芥川賞候補作品を全部読む試みもこれで3作品目。これまで読んできた候補作と比べて、未来に向ける視線があった。しかしそれは希望溢れる未来ではなく、現実が見えてない権力者が押し付ける未来だ。

 

中国にある集合マンションを美術館に作り替えないかという提案がきて、建築家は設計図を書き、そのアシスタントは集合マンションに未だ住んでいる人達へ立ち退きを要求する。

だが立ち退きはなかなかうまくいかない。集合マンションは悪臭が漂うなど、なかなかハードな状況だ。

しかし建築家はそんなことは露知らず、現実に希望を持って未来に賭けるだとか、タテの繋がりよりもヨコの繋がりを広げていきたいとか、理想ばかり語る。

 

現在と地続きでない未来など空疎だ。

 

未来に賭けるとは、すなわち現在に絶望することだ。けれど現在に絶望すれば未来などありうるわけがない

 

この建築家のように現実が見れてないタテのトップが「ヨコの繋がりを大事にしよう」というのはそれ自体が上からの押し付けでパワハラだろう。

現場の苦労も知らない上司が肩を組んできて「俺たち平等だよな!友達になろうぜ!」と言ってくるような怖さがある。

本屋大賞を受賞した朝井リョウ『インザメガチャーチ』にも似たようなシーンがある。おじさんが若者と友達になろうとして若者にドン引きされるシーンが。おじさんにも多少の同情の余地はあるけど、突然家に押しかけられた若者の立場からするとやはり怖いものがある。

おじさんがタテの構造を無視して横に対等になろうとするのはもはやパワハラなのだ。

 

建築家の、美術館にコンパートメントも併設して、今立ち退きを要求している人たちの住居にしようというアイディアも、なんだか権力者や強者の欺瞞や傲慢のようにみえてくる。

 

この建築家のいう「現在」というのは所詮「自分にとって」の現実でしかない。他人の現在が見えていない。妊娠中の妻のつわりなどに対してもどこか他人事だ。他人の現実はあくまで他人事で、自分の現実と理想だけにしかリアリティがなくて、その延長線上にある未来しか見えていない。

 

未来のことなんて考えられず行き詰まっている現実しか実感できない人、立ち退きを要求されている住民、立ち退きを要求しているアシスタント、他の芥川賞候補作『アンチ・グッドモーニング』や『ゾンビ回収婦』の主人公のように行き詰まるしかない人たちのことが見えていない。

 

おまけにこの建築家はふんわりと害悪男性の香りがする。この人物像にはどこまで作者の作為性があるのかなんだか気になってしまった。そんなこと気にするのは野暮ってものかもしれないが。でもどうやったら作家と作品を切り離せるのか。切り取り線をどこに見出すかはどうやって作品から読み解くのだろう。