本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『今日は誰にも愛されたかった』

ベランダに見える範囲の春になら心をゆるして大丈夫 大嗣

 

春って外に出るとなんか人がワイワイしてて、はるのほうから無遠慮に押し寄せてくるイメージがあるんですけど、それが僕は馴染めないんですね。でも自分の家のベランダに出てそこから桜とか遠くに見えたりする、その程度の春なら楽しめるっていう。

 

わかる。すごいわかる。

春とか夏って「楽しんでる?楽しんでる?あなた一人なの??」っていう無遠慮な迫力で迫ってくる感じがあって、肩身が狭くて、惨めな気分に陥ってしまう時がある。

だから秋が1番好きなんだ。秋は一人でいることを許してくれるような雰囲気がなんとなくあって。

冬は冬でねクリスマスとか(恋人的存在必須)年末年始とか(暖かい家庭必須)あってね、それはそれで迫ってくるものがあるし、やっぱり秋が1番好き。

 

 

今回紹介するこの本、『今日は誰にも愛されたかった』は、詩人の谷川俊太郎さん歌人の岡野大嗣さん木下龍也さんが三人で作った連詩が前半に、その感想戦として行われた鼎談が後半に収録されていて、詩や短歌、連詩とその制作背景が同時に味わえる。

 

詩集や歌集は今までたくさん読んできたし、谷川さんの詩集も岡野さん木下さんの歌集もいっぱい読んできたので、この三人の連詩が読めるとは豪華すぎて楽しみにしていたんだけど、今まで知ることがなかったその制作背景までも知ることができるなんて。贅沢豪華。

 

 

作り手がどんな意図で作品を制作したのかなんて知らなくても独自の解釈で読めばいいじゃないかと思うこともあるけど、独自の解釈もなにも解釈の仕方がわからなかったり読み方がわからなかったりするとそうもいかない。

 

この鼎談の進行をしていた編集者さんもいっていたけど詩人や歌人が持つ世界の解像度はすごく鮮やか。その鮮やかさを保ったまま作品を読み解ける場合もあるんだけど、自分が持つ低解像度でしか読み解けない場合の方が多くて、作者に解説してもらって初めてその作者の解像度で見え始めることもある。

 

短歌や詩単体もそうだけど、この連詩も、連詩だけを読むと正直つながりがわからないところが多かった。

その後の感想戦があるからこそ、その詩や短歌を詠んだ時の三人の頭の中が覗ける。前に書かれた詩や短歌のこの部分に注目して、ここの部分から発想をえて、こういう流れにしたくて、この表現この言葉を選んだんだってことがわかって、連詩の読み方感じ方がより濃くなる。

 

この本を読んで、詩や短歌の読み解き方や読み解く解像度がほんのちょっぴりあがったような気もする。

あんまり詩集や歌集を読んだことがない人にも楽しみ方が伝わると思うので今まであまり馴染みがなかった人にもおすすめです。

 

 

今日は誰にも愛されたかった

今日は誰にも愛されたかった