柏木
柏木が亡くなり、女三の宮が出産する帖。
朱雀院は後見がない女三の宮が心配で光源氏に嫁がせたけど、結局子供を産んですぐに女三の宮は出家してしまう。しかもその儀式を取り行ったのが先に出家した朱雀院自身が行うのが切ない。
それに加え、柏木と結婚したから後見については安心していた女三の宮の姉、女二の宮は柏木が死んでしまい一転不安定な状態に。朱雀院の親心は報われない…。
夕霧がこんな風に亡き友柏木の未亡人女二の宮を心配するのもわかる。
「こちらの女二の宮こそ、噂に聞いていたよりは、奥ゆかしいお方のようだ。何とお可哀そうに。皇女の身で外聞の悪い御降嫁をなさり、その夫にも先立たれた上、世間のもの笑いになることまで気に病まれていらっしゃるのだろう」
柏木の亡き後割とすぐに女二の宮に言い寄る夕霧に引いていたけど、女二の宮の後見問題を考えると悪い話じゃないんだろうか。夕霧は柏木から臨終の際に女二の宮のことを託されているし。
いやでも夕霧は女二の宮の今後が心配というよりも下心で言い寄っているんだろうけど。
横笛
タイトルの横笛が大きな役割を果たす帖だけど、その前段階として琴もなかなかいい役割をしている。
柏木の妻女二の宮の家を見舞った夕霧は柏木の琴を引き、今度は「柏木が弾いた音色が残っているかもしれないから、弾いてみて」と女二の宮にも弾かせようとする。なんとかして女二の宮とコミュニケーションが取りたいのだ。これは柏木の音色が残る琴が二人の間を取りもち、柏木が二人の間を取り持つという展開か?と思わせる。
だがしかし、琴を渡された女二の宮が弾いたのは想夫恋。彼女の想いはまだ亡き夫にあるという現れでもあるし、柏木の音色思いが残った琴が女二の宮に想夫恋を弾かせたとしたらこれは「臨終の際に妻のことは頼んだけど、手は出すなよ?」という柏木からのメッセージかもしれない。
琴は女二の宮を夕霧をつなぐキューピッドにはならなかった。その代わり女二の宮の母から託された横笛は後に、柏木と女三の宮にできた不義の子、薫と柏木の親子の縁をつなぐアイテムになる。
鈴虫
女三の宮が尼になり、仏像を作ったので開眼供養が催されることになる。
その準備を手伝った光源氏はまだまだ女三の宮に未練があり、その裏切りを根に持っているようで、「せめて後の世では、同じ蓮の上に宿って、仲よく暮らせるようにとお思いください」などと声をかける。それを受けて女三の宮は「本気でそんなこと思ってないくせに」的なことを言って軽くあしらうのが、なんだが切ない。あれだけうぶでなにもわからない少女であった彼女が今や光源氏の本性を知り軽くあしらう技術まで身につけてしまったと考えると切ない。
朱雀院は女三の宮はもう出家したし、別居した方がいいのではと光源氏にいうが、「離れ離れに住んでいては心配だし、これからもお世話は続ける」と返す。
女三の宮の気持ちも朱雀院と同じで、光源氏との縁を断ち来るつもりで出家したのに。
夕霧
落葉の宮の母の最後が辛すぎる。夫を亡くした後の娘の面倒を、夕霧が見てくれるのかくれないのかわからないまま、夕霧からの返事を待っている間に死んでしまう。
亡き夫の柏木も女三の宮に夢中になっていたし、その後に近寄ってきた夕霧には本妻の雲居の雁がいるしで、娘の男運の無さを嘆く母。嘆きながら死にゆくのを見守る落葉の宮も辛い。
落葉の宮の母は夕霧の前に化けてでてもいいし、落葉の宮は生き霊となって現れても良いのではないか。母娘揃って出てこられてビビる夕霧をちょっと見てみたい。
御法
紫の上がついに臨終を迎える。
源氏と明石の中宮と対面する場面で、紫の上は自分が先に死んだら源氏はどんなに心乱し嘆くだろうと悲しみ、その悲しみを和歌にして詠む。
源氏も明石の中宮もそれに応えて和歌を詠むのだけど、そうして身近な誰かが迎えようとしている死について話せるのっていいな。
現代でも死について話すのはタブーとされているというか、重過ぎて怖くてなかなかできないものだ。
和歌っていう定型がある言葉にしてちょっとかしこまった形にすること、逆にちょっとふざけて笑いを加えて話すこと、そした今いる自分の地平からずらすことで話やすくなる。
そうしてレイヤーを変えるから心情を吐露できる。
和歌ってものがあったからこそ、平安時代の人は気持ちの交換が今よりできていたのかもしれないなぁと思うと、平安時代の人がちょっと羨ましい。
今、和歌の役割を果たすものはなんだろう。スタンプとか絵文字かなぁ。でもスタンプでは安易すぎる。創作性がない。でも和歌も本歌取りといって、もともとある和歌を真似したいるものもあるしな。
先人の和歌のエッセンスも自分の感情も創作も言葉に載せられる和歌というのがやっぱり羨ましい。
幻
紫の上が亡くなった後に「かわいそうなことをしたなぁ」などと後悔する源氏。
失って初めてその人の存在がどれだけ大切だったか思い知らされて後悔するという心情はわかるけど、だったらなんでもっと大事にしてあげなかったんだ!と思ってしまうのも人情。
源氏物語がなんでこんなに面白いのかっていうと、光源氏に、なんなんだお前は!とキレるのも面白さのひとつなんじゃないか。
自分には理解できない思考回路だとか倫理観を持ち合わせているけど、同情の余地はあり共感もするんだけど、クズだな!と思う時もあり振り回される。
この帖では紫の上を亡くした光源氏の悲しみが切々と書かれていくのだけど、中盤になって、女房の中将の君を軽口を叩く。「なつかしいそなただけはまた摘んで罪を犯しそうな」と詠ったりする。その姿に、元気でてきた?良かったと思うと同時に、なんなんだお前は!とも思う。
雲隠
帖の名前だけ残っていて中身はない。ただ帖の名前で、光源氏の死を現しているらしい。
源氏は死の間際なにを思ったのだろう。それを書かないのはなんだかずるいような気もするけど、書かずに想像に任せるところが粋。
匂宮
女三の宮は、光源氏と結婚した頃と比べたら、大人になったし経験も踏まえて成長したのかもしれないけど、やっぱり「しっかりしてくれ!」と思ってしまう。
息子の薫も、女三の宮を自分の子供のように気にかけている。
薫は母親が若くして出家したことを訳アリだと感じていて、それが自分の出生と関係あることも感じていて、だけどそれを母に聞いたら悩ませることになるから何も聞けずにいる。
可哀想だ。
夕霧や明石の宮、今上帝がなにかと気にかけてくれるけど、でもやっぱり実の親が頼りなくて出生に暗い影を見出してしまうというのは背負うものが重いだろう。
「匂宮」という帖の名前なのに、匂宮より薫のエピソードが濃くて薫のことばかり考えてしまう。
なんで匂宮が帖の名前になっているのかというと、どうやらこの帖で絵巻として描かれるのが、夕霧と匂宮が賭弓というゲームで勝った後、宴をしに夕霧の家に向かうシーンが多いからっぽい。
話としては割とメインで薫が書かれているのに、映えるのは匂宮だったというのがどうにも薫と匂宮っぽくて、やっぱり薫が哀れだ。