某月某日。
J・K・ローリング『ハリー・ポッターと死の秘宝』を読んだ。
不死鳥の騎士団辺りで「そういえばハリポタはずっと死について書いてるな?」と思い始めたんだけど、最終巻で主人公にこんな死の向き合い方、向き合わされ方をさせるなんて。
ハリポタシリーズを読み切るまでは、このシリーズが死にどうやって向き合うか、死をどうやって受け入れるかをずっと書いてるものだとは思わなかった。
ハリーは「生き残った男の子」だけど「生き残ってしまった男の子」でもあり、サバイバーズギルトみたいな責務が生まれてしまって、愛されたから生き残ったというけど、それは重くもある。そしてそのせいで死にそうになるなんて。
某月某日。
阿久津隆『読書の日記』を読む。
誰かに優しくしたり気を使っても私は誰かに優しくされたり気を使われることはなくて、でもそれって私の優しさや気使いが唯一無二で至高だからでは?と思える文章があった。誰かに優しくし返してもらったら、その誰かの優しさの方が価値がある、または等価ということになるもんね、と霧が晴れるようだった。
でもこれもこの一瞬だけなのかもしれない。それともこの言葉はずっと私の元にあり続けるだろうか。また霧が立ち込めた時に思い出して晴らしてくれるだろうか。
某月某日。
好きな作家さんが最近ずっと親としての愛情や苦悩、夫婦関係の悩みばかり書いていてちょっと辛い。そんな経験は私にはないのでずっと他人事として読んでしまっているというか、入り込めないというか一抹の寂しさを感じている。
自分では経験できない出来事や苦悩を追体験できて、自分とは違う立場の人間の感情を知るということは大事なことなんだけど、やっぱり他人事は他人事だし、私なんでこの作家さん好きなんだったっけとなってしまう。
やっぱり平均的な人生を歩んだ方が寄り添ってくれる物語は多いんだなと思う。
でもそうすると、物語というものは自分とは違うマジョリティの人間の生態を知るもので、平均的なものを知り話を合わせるため、浮かないための学習になってしまう。
男の人は趣味の話で盛り上がり私的な話はしない、女性は私的な話で盛り上がる、なんてことを聞いたことがある。
ライフステージが一緒でないと私的な話じゃ盛り上がらないから、だんだんと男性的な趣味的な話しかしなくなるのでは。
某月某日。
宮田愛萌『春、出逢い』を読んだ。
キャラ小説だった!好き!キャラの感性や思考のクセを楽しんで、キャラとキャラの関係性を楽しむ小説って良い。
青春という装置、学校という舞台はキャラ小説が映えるのかも。アイドル小説もいいけど。
愛萌さんはちょっとした感慨やちょっとした行動を描写するのが上手だ。
話の展開には直接関係ないようなそういう細部にキャラは宿る。愛萌さんはそういうのがうまい。
続編が今度発売されるみたいだけど、これの続編ってなんだろう、どんなのだろう。
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読書友達と読書往復書簡と称して一冊の課題本を読んだ感想を書き合うnoteを初めました。
これまでに西加奈子『うつくしい人』、芥川龍之介『地獄変』について記事をUPしています。
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