本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しか出てこない』三宅香帆

「しょひょうか」と聞いて脳内で「書評家」と変換できる人はどれくらいだろう。本好きなら変換できるかもしれない。いや本好きでも、できない人もそれなりにいるだろう。そんなメジャーとはいえない書評、それを書く書評家だけど、私には好きな書評家、推し書評家が何人かいる。

 

瀧井朝世さん倉本さおりさん渡辺祐真さん等々、この人が書評書いてたらついつい読んでしまう人がいるけれど、中でも最推しと言っていいくらいの人、デビューからずっと追っかけているのは三宅香帆さんだ。

 

三宅さんは書評家だけど、大学院で万葉集の研究もしていたので古典に関する本も出しているし、本の批評だけでなく漫画や映画の批評をされているのでそれをまとめた本もあるし、本好きとして本と共に生きる日々を綴ったエッセイもある。

書評家として推しているんだけど、書評以外も余裕で面白い。

そんな三宅さんが『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しか出てこない 自分の言葉でつくるオタク文章術』(以下『推しやば』)というタイトルの本を出すと知った時は、「推しが推し語り技術の本出すなんて興味しかないぞ!」と興奮した。

それにこの本で著書10冊目になるそう。すごい!10冊全部持ってる!と、これもまた興奮。著作だけでなく、三宅さんが書評で取り上げた本や解説書いた本や寄稿してる本などなども入れたら10冊どころではすまない。これを推しと言わずになんと言う。

 

今回はそんな記念すべき10冊目『推しやば』とわたしの推しについて書いていきます。

 

f:id:sayakuma24:20230709101503j:image

 

『推しやば』はそのタイトル通り、推しについて語りたい布教したい、でも「やばい!」しか出てこないという人に向けた、自分の感想を言葉にするちょっとしたコツを教えてくれる本だ。

 

そのちょっとしたコツというのは、まず言語化する手段としてのコツと、その言語化したものを伝わる文章にするコツの2種類に分かれている。

言語化する手段としてのコツは、自分だけの感情を大切にすること、感情を元に色々と妄想してみること、よかったところを細かく具体的に細分化すること等々、色々ある。

 

色んなコツを教えてくれているけれど、なかでもわたしが頭に叩き込みたい!と思ったものは、言葉にできたあとのコツ、伝わる文章にするためのコツだ。

それは「想定読者を決めること」「想定読者と推しとの距離を測ること」「自分じゃない他人との距離を詰めるための手段=伝わる文章にするための工夫」というもの。

 

文章を独りよがりなものにしないため、自己満足で終わらせないで読んでもらえるもの、伝えるものにするためには、正にこのコツは必須で、だけどわたしはそれができていない。難しい…。まず一番最初の想定読者を決めることすらままならない…。

しかし当たり前だけど三宅さんはそのコツを全部使いこなしている。『推しやば』は、だから三宅さんの書くものはこんなに面白いのか!と発見があった本でもある。

 

先ほど少し触れたけど、三宅さんは万葉集を研究していたので、古典に関しても造詣が深い人だ。

わたしは今まで古典は和歌ぐらいしか興味がなかったけど、それが今では枕草子源氏物語好きになり、定子と清少納言の主従関係に萌え、漫画『あさきゆめみし』を読破して光源氏を殴りたくなり、来年の紫式部を主役にした大河ドラマ『光る君へ』に向けての予習重ねる日々である。

それもこれも、三宅香帆さんの古典推し、推し語りのお陰。

 

その推し語りの手腕には『推しやば』にある「想定読者を決めること」「想定読者と推しとの距離を測ること」「自分じゃない他人との距離を詰めるための手段=伝わる文章にするための工夫」の3つが存分に発揮されている。

 

 

f:id:sayakuma24:20230709104904j:image

 

三宅さんが『(萌えすぎて)絶対忘れない!妄想古文』や『妄想とツッコミでよむ万葉集』で想定している読者は、授業の古文で古典に触れたことがあるぐらいで全然詳しくない、古典に高尚で小難しくてお堅いイメージを持つ古典初心者だろう。対して三宅さんは大学院で研究もしていたくらいの上級者。そこには大きな隔たりがある。

 

ではその距離を埋めるための工夫とは何か。

それは『枕草子』を日本最古のファンブログと称したり、『源氏物語』を百合もBLもありのハーレム絵巻と称したり、『万葉集』をTwitterやインスタLINEに例えたりすることだ。

こうして馴染みのあるものに置き換えられたり、現代のものに例えられたりするするとグッと距離が近くなる。距離が近くなるけれど、置き換えられたものと古典のイメージのギャップで興味も湧いてくる。そしてわたしは古典にハマる。

 

しかし古典に興味が湧いたのはそうしたコツの力だけではなく、三宅さんの親しみある文体の力も大いにある。

三宅さんは上級者だけあって、古典との距離が近い。しかしただ詳しいとか知識があるとかそういう距離の近さだけでなく、親しんでいる。古典と仲がいい、という感じの近しさで、その古典との距離が近いまま、読み手に近づいてくれるので、三宅さんの著作を読む方も古典と近しくなれる。

友達に友達を紹介してもらっているような感じ、それが三宅さんの持つ文体の力だと思う。だから読み手も授業で触れた古典とは違ったやり方で、古典と触れることができるのだ。

 

f:id:sayakuma24:20230712105957j:image

 

古典だけでなく、三宅さんが書評している本は読みたくなるものばかり。『推しやば』にも「書評家って、常に推しの本を見つけ、それについて書く仕事」と書かれている通り、書評も一つの推し語り。

そんないつも魅力的な推し語りをしている人が推し語りの技術を教えてくれるこの『推しやば』並びにその著者を、わたしは推したい。

 

三宅さんの推し古典語り推し本語りのお陰で、古典好きになったように好きな本が増えたように、誰かが自分の推しを語れば、他の誰かの推しを新たに増やすことになって、その人の生活に彩りを一つ増やすことになるかもしれない。

だから推しがいる人推し作品がある人には、「やばい!」だけじゃ伝わらない、推しの素晴らしさをもっと語って欲しい。それは布教という側面だけでなく、自分の気持ちと向き合うことになり、自分のことを知る機会にもなるから。

だからその手助けをしてくれる『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない!』を推しがいる全ての人に読んで欲しい。

 

f:id:sayakuma24:20230714170616j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

bookbookpassepartout.hatenablog.com